“強さのルーツ”は二刀流!? パリ五輪やり投げ金メダリスト・北口榛花…中学時代の恩師が語った原点
ここに一冊の卒業文集がある。「将来の夢は世界中を旅行することです! さて、私はだれでしょ~う!」。 【画像】北口榛花が「将来の夢」を書いた小学校の卒業文集 これを書いたのは小学校時代の北口榛花。パリ五輪の陸上女子やり投げで、日本女子トラック&フィールド種目で初となる金メダル獲得という快挙を成し遂げた北口は、トップアスリートとして世界中を転戦する形で小学校時代の夢をかなえた。 悲願のオリンピック金メダル獲得後、一躍人気者になった北口。メディアの取材に「名言が残せなかった」と“珍”名言を発したことも話題となったが、その飾らない性格は子供時代から変わっていないという。 北海道旭川市で小中高と同じ学校に通った同級生の大川真由さんは。 大川真由さん: テレビとかで世界大会を見ちゃうと「おーっ!」みたいな…。 みんなが知っている有名な選手になっているのはすごいし誇らしいと思う。 けど、直接会うと昔と変わっていないなと(笑)。
中学生にして未来の金メダリストの片鱗が
世界のトップに上り詰めた北口だが、その強さの原点は中学時代にあった。中学時代の担任でありバドミントン部の顧問であった栃谷悟先生が、当時の彼女について話してくれた。 栃谷悟先生: 休日の(バドミントンの)部活動では、朝泳いできて髪の毛がびしょびしょに濡れたままで現れたことがよくありました。 実は、北口は中学時代、学校の部活動でバドミントンをしながら、スイミングスクールに通って水泳にも挑戦する“二刀流”だったのだ。しかも、どちらの競技でも全国大会に出場という輝かしい成績を残している。 栃谷悟先生: (バドミントンの)中体連最後の大会では、勝てそうな試合で、相手に粘られて負けてしまい号泣、当時からとても負けず嫌いでした。 北口といえば、最も印象的なのは“土壇場での勝負強さ”。これまで大会中に幾度となく土壇場まで追い込まれても、最後の投てきで勝利をたぐり寄せてきた。そんな負けず嫌いの一面は中学時代から変わらなかったのだ。 さらに栃谷先生は、こんなエピソードも語ってくれた。 栃谷悟先生: 運動能力テストでボール投げというのがあり、軽々男子の飛距離を超えていました。今思えば、投てきの力は当時からすごかったんだなと思います。 当時の北口の記録は35m。中学3年生男子の平均24mを大きく上回っていた。北口本人も「大半の男子には勝っていた」と自身の身体能力の高さを認めている。