「動けなくなった自分が面白くて」脳出血で右半身不随、“左手のピアニスト”舘野泉の原動力
「左手のピアニスト」としてコンサートを再開
それから1年後、シカゴに留学していた息子のヤンネさんが帰省したとき、何も言わずに『左手のための3つのインプロヴィゼーション』の楽譜をピアノの上に置いていった。これは英国の作曲家フランク・ブリッジが第1次世界大戦で右手を失った親友のピアニストのために作った曲だ。 「何げなくそれを見た瞬間、目の前に大海原が広がり、左手だけでも表現ができる!という思いが湧いてきました。すぐにピアノに向かって、左手で弾いたところ、音が立ち上がって、新しい世界が開けたのです」 これまでの時間は機が熟すために必要だったが、熟した後は行動あるのみだ。2日後には友人の作曲家・間宮芳生と、フィンランドの作曲家・ノルドグレンに、左手だけの新曲を書き下ろしてくれるよう依頼。そして2004年4月から5都市での復帰コンサートを行った。 「左手だけで弾いているとは思っていません。右手が動かなくても、思考や感覚に変わりはないのです。大事なのは両手で弾くことではなく、何を表現するのか、何を観客に伝えるのかです」 それから世界中の作曲家が舘野のために左手だけの曲を書いてくれ、その数は130曲以上にも上るという。舘野が左手のピアニストになってから「ますます凄みを増した」と語るのは、以前からコンサートに足を運んでいた生命誌研究者の中村桂子さんだ。 「舘野さんのピアノを聴くと、その時々で心を大きく動かされます。ただ音を伝えるのではなく、気持ちを伝える演奏なのです。右手が動かなくなるというのは大変なご経験だったと思います。でも左手だけで素晴らしい演奏をされる舘野さんを見ていると、年をとってできなくなることをマイナスに考えてはいけないと元気をもらえます」 舘野と中村さんはNHKの番組『スイッチインタビュー』で2019年に対談している。このときは舘野が中村さんを指名したが、以前から舘野は彼女の仕事に関心を持っており、番組の中で、中村さんが館長を務めていたJT生命誌研究館を訪れている。 「音楽と生命科学はまったく違うジャンルのように思われるかもしれませんが、私と舘野さんは根っこの部分が同じだと感じています。人間の生命は森の中で育まれてきましたが、舘野さんもフィンランドの森の中でお過ごしになってきました。自然が心に入ってくるような音楽を表現されていて、心が洗われるのです」(中村さん) 舘野と中村さんは同い年で、東京生まれという共通点もある。 「ピアノを弾いているときとは違って、ふだんは穏やかで笑顔がとても可愛い方です」 岸田今日子さんと行っていた「音楽と物語の世界」は、岸田さんが亡くなった後、俳優の草笛光子さんを新たなパートナーに迎え再開された。 「ミュージカルで活躍されてきた草笛さんは華やかです。大海原を悠々と泳ぐクジラのようで、演奏していると自分自身もクジラのような気持ちになります」 と舘野は話す。