東海道線や小田急よりも先「日本で4番目」の電気鉄道、実は小田原にあった 自前で発電所も建設
この夢がようやく果たされたのが、1935年10月。小田原―箱根湯本間に新たに鉄道線を開通させ、強羅までの直通運転を開始した。工事内容としては小田原―風祭間に新線を敷設するとともに、風祭―箱根湯本間は、軌道線の「既設線路を一部改修」(『箱根登山鉄道のあゆみ』)し、鉄道線に転用した。 これにより軌道線は、鉄道線と経路の異なる小田原駅前―箱根板橋間(2.4km)のみに短縮され、路線が小田原市内で完結することになったため、「市内線」とも呼ばれるようになった。
その後、戦時下での一時的な運転休止などがあったものの、軌道線は最後まで「収益は好調」(『箱根登山鉄道のあゆみ』)だった。しかし、戦後の自動車交通量の増大による道路改修を機に、1956年5月31日を最後に廃止された。 ■小田原駅前から廃線跡を歩く それでは、小田原駅前から箱根登山鉄道軌道線の廃線跡を歩いてみよう。 小田原駅前の乗り場がどこにあったのか、その痕跡を探してみると、駅東口の商業施設「トザンイースト」(旧・箱根登山デパート)1階の搬入車専用駐車場の脇に立っている「旧市内電車のりば」の案内板は、すぐに見つけることができた。
しかし、当時を知る人によれば、この位置に乗り場があったのは、廃止直前のほんの1~2年間のことであり、それ以前はもっと国鉄(現・JR)駅寄りの場所、現在は箱根登山バス、伊豆箱根バスの案内所になっているビルの位置にあったという。1954~1955年度に行われた小田原駅前整備拡張工事(1955年10月13日竣工)に伴い、乗り場が移設されたのだ。 さて、駅前を出発した軌道線はバス通りを道なりに進み、最初の緑町停留場に停車した。現在、付近には同名のバス停が設置されている。緑町といえば、伊豆箱根鉄道大雄山線にも緑町駅があるが、直線距離で500ⅿほど離れている。
調べてみると、1889年に十字町・幸町・緑町・万年町・新玉町の旧・小田原駅5町(ここでいう「駅」は鉄道駅ではなく、従来の小田原宿などの「宿」を再構成して設置された行政区画)が合同して小田原町が誕生。その後、1966年に市内の町名変更が行われるまで、どちらも所在地は緑町だったという経緯があった。現在の地名では、いずれも栄町となっている。 ■現役時代の面影は残っている? この先にある郵便局と書店は、軌道線が走っていた当時から場所が変わっていない。さらにその少し先では、2021年7月までで閉館となった市民会館の解体工事が進められている。この辺りは小田原城の大手口に当たり、近くには今も大手門の石垣と、朝夕に時報を打つ「時の鐘」(現在の鐘は昭和28年製)が残されている。