「私たちが問われている」「被爆体験、世界の記憶に」「全ての人に、平和な日常を」 後を継ぐ世代やウクライナ避難者が語る、自分たちがやるべきこと【私の視点 ノーベル平和賞】
故郷のウクライナ東部ハリコフにいた2022年2月、ロシアの侵攻が始まった。爆撃で火に包まれる建物、地震のような地響き―。母と避難を始め、2022年4月からは、以前住んだことがある日本に身を寄せている。 昨年5月、広島の原爆資料館を訪れた。破壊された街の写真や焼け焦げた衣服を見て、悲惨さに言葉を失った。民間人に多大な犠牲が出た母国のマリウポリを思い起こす展示もあった。核兵器は非人道的だ。 ロシアは核威嚇を続けている。核兵器の開発は続いており、今、使われれば広島と長崎よりはるかに大きな被害が出るだろう。北朝鮮がウクライナとの戦闘に参加するなど戦線は拡大している。武力で相手を制圧しようとする以上、応酬はやまないし、いつか核使用につながるかもしれない。武器を捨て、話し合いで解決を目指すべきだ。 故郷の街は今も爆撃され、ウクライナの人は核の脅威におびえている。そんな現実が日常となってしまった。中東でも戦闘が激化し、ニュースを見る度に胸が痛くなる。もう誰も、戦争の犠牲になってほしくない。 ▽行動を重ねることで、世界を変える
日本に避難した当初「私には何もできない」と無力感にさいなまれていた。だが、平和を願うイベントに参加したり、多くの人と交流したりするうちに「できる範囲で行動を重ねることが、少しでも世界を変えるのでは」と思うようになった。 だから、被団協の受賞決定には勇気をもらった。彼らの活動の結果、多くの人々が核の恐ろしさを知ることができた。大きな成果を得られなかった時期もあっただろう。それでも努力を積み重ね、世界を動かしてきた。 鉄骨をさらした広島の原爆ドームは、この歴史を繰り返してはならないと伝えている。平和賞を希望に「核なき世界」を目指したい。武器をなくし、平和な日常を送る権利を全ての人が取り戻す日が来ると信じている。 × × 1993年、ウクライナ生まれ。来日後は通訳の他、母国の料理や文化を伝える活動を続ける。