美少女イラストは女性に対する「危害」なのか? “性的な表現”やヘイトスピーチの規制が難しい理由
「性的な表現」は女性に対する「危害」なのか?
――どのような事柄を「危害」と見なすか、には議論の余地があると思います。たとえば美少女イラストや水着のグラビア・広告などの性的な表現について「性的な表現を目にした女性は尊厳が傷つけられたり抑圧を感じたりすることで危害を被る」と主張されることがあります。 志田教授:アメリカの法学者キャサリン・マッキノンは、性的な表現は「若い女性とはこのようなもの[男性に媚びる、男性にとって都合のいい存在]として存在すれば褒められる」「若い女性はこのように生きるべきだ」という「メッセージ」を社会に共有させることで、女性が本来持っている可能性を奪う、と論じました。日本で「わいせつ」として規制されているタイプの性表現は、ここでは規制すべき関心事ではなく、規制すべき本当の問題はこうした差別構造を固定してしまう作用を持つ表現だ、と。 本来なら、女性も社会や経済・政治の世界で自分の能力を発揮して活躍することができたかもしれない。しかし、公共空間に性的な表現が存在することで女性が萎縮させられて能力を発揮できない社会が続いてしまう、というのがマッキノンの議論です。 アメリカでは、すくなくとも法律の世界では、マッキノンの議論に基づいた規制法は憲法違反と判断され、採用されませんでした。しかし、カナダの法律では、ある程度は考慮されています。イギリスでもこの発想が法律に反映されているように思います。 ある女性にとって、グラビアやイラストなどの性的な表現が、自分の社会進出を妨害する心理的な障壁になってしまっている、という可能性は十分に考えられます。そのような訴えを「好みの問題だ」 「“お気持ち”に過ぎない」と軽んじるべきではありません。 「性的な表現が不快である」と主張している人の感じている「不快さ」が社会のマジョリティには理解されづらい、という側面もあります。訴えを深刻ではないかのように茶化したり戯画化したりする人も多いですが、そのような行為は問題を見誤っていると思います。 訴えがあったら、まずは「本人にとっては真剣な訴えだ」と認めて、真剣に受け止めるべきです。「感情の問題だから法的判断にはなじまない」と切り捨てる、というのも間違っています。法的に取り上げるべき問題提起が含まれている、と考えるべきでしょう。 その一方で、表現の自由との適切なバランスをとるために、「受忍限度」を超える被害があると言えるかどうかを考える必要も出てきます。