100台以上の「跳ね馬」を所有した父 フェラーリ250 GT ルッソ 娘が継いだプロトタイプ(1)
コロンボV12を搭載する250 GT ルッソ
スージーの弟が生まれた頃のファミリーカーは、当時1100ポンドで購入したフェラーリ275。赤ちゃんを運ぶかごが、シート後方へぴったり収まったようだ。一方でスティーブンは、365 GTB/4、デイトナは重すぎるという理由で共感していなかったとか。 他にもディーノは20台以上を、250 カリフォルニア・スパイダーは2台を仕入れた。F40も、1台だけ購入したらしい。金字塔の1つといえる、250 GTOも所有していた。シャシー番号3527GTの個体を、20年ほど維持していたという。 この250 GTOは1962年の公道レース、ツール・ド・フランスで、ベルギーのルシアン・ビアンキ氏とクロード・デュボア氏のペアが優勝争いを繰り広げたフェラーリそのもの。スティーブンは、それで頻繁にイベントへ参加し、仲間と交友を深めたらしい。 数多くのフェラーリが彼を通り過ぎていったが、今回ご紹介するシルバーの250 GT ルッソは、一家へ残った特別な1台だ。発売は1962年で、技術者のジョアッキーノ・コロンボ氏が設計したV型12気筒エンジンのティーポ168、2953cc仕様を搭載する。 フェラーリは、1950年代後半から販路を世界規模へ拡大。1960年代にかけて、量産体制も整えられていった。特に2+2レイアウトの250 GTEは、述べ1000台近くが生産された成功作になった。 250 GT ルッソは、ティーポ539Uと呼ばれるシャシーがベース。エンジンの搭載位置を前方へずらすことで車内空間が広げられるなど、250 GTEと設計思想では共通する。長いリアサスペンション・スプリングが流用され、優れた乗り心地も得ていた。 この続きは、フェラーリ250 GT ルッソ 娘が継いだプロトタイプ(2)にて。
ジェームズ・ページ(執筆) マックス・エドレストン(撮影) 中嶋健治(翻訳)