「2回同じ失敗を繰り返した」苦労人。FC町田ゼルビア・鈴木準弥が振り返る、上を目指し続けられる理由
「あの時があったから、死に物狂いでサッカーに向き合えた」
河岸:半年のドイツでの生活を終えて、日本に帰ってきてからもJリーグの複数クラブに練習参加していたけどなかなかうまくいかずだったよね。ドイツでの半年もそうだけど、日本に帰ってきてからの日々も今振り返るとターニングポイントだった? 鈴木:本当はドイツでもう少しプレーしたかったのですが難しく、日本で所属先を探すとなってもそう簡単にはいきませんでした。ドイツの時もですが、今思えばかなり甘い考えだったんだと思います。ドイツに行くまでは全日本大学選抜にも選ばれていて、ドイツのチームと試合をした時も通用するなと感じていたんです。なんとかなるだろうと思ってドイツに行ったら、言葉も文化も違う国でなんともならなかった。 日本に帰ってきても、日本での経歴もあるしうまくいくだろうと思って準備もあまりせずに、練習参加に行ったりしていたのでどこにも引っ掛からなかったです。今となっては、この経験が翌年から死に物狂いでサッカーに向き合えた糧になったのかなと思いますね。 河岸:身をもってそういった経験をすると、自分自身で内省できるから理解できるよね。僕も指導者としてドイツに渡った時に、同じような経験をしたので。そこから、藤枝MYFCに加入が決まったんだよね? 鈴木:藤枝が早めに内定をくださって、日本でもプロとしてプレーできることになりました。当時はJ3だったのでクラブハウスもなく、外で洗車ついでにみんなでシャワーを浴びるような環境でした。藤枝は2年契約でしたが、1年目が終わった時にブラウブリッツ秋田からオファーをいただいて移籍しました。秋田ではJ3優勝も経験させてもらいましたし、楽しくプレーさせていただきました。ただ、東北の冬はとてつもなく寒かったですね(笑)。毎日のスタートは、車を出すための雪かきからでした。
「結果が出た後に、どこまで自分を律して上を目指し続けられるのか」
河岸:秋田で安定したプレーを続けて、FC東京にステップアップ。着実にJ1まで駆け上がっていったけど、FC東京に加入したのも準弥の中ではまた一つのターニングポイントだったんじゃないかな? 鈴木:そうですね。最初の数試合は順調にベンチにも入って、スタメンでも出場できていました。やっぱりドイツの時と同じように、「このままいけるな」という慣れと甘えが出た時にしっかりと見抜かれて、メンバーを外されました。メンバーを外れることになった試合の翌週のトレーニングで、全治1カ月ほどのケガをしてしまって、そのまま1年半くらい出場機会がほとんど訪れなかったです。 河岸:ドイツで苦しい時期を過ごして、日本での所属先が決まってからは順調にきていた。FC東京でまた苦しい時期がきたと思うんだけど、自分の人生は山あり谷ありだなって感じた? 鈴木:感じましたね。自分が結果を残す前には必ず苦しい時期が来るなと思いました。ドイツで苦しんで、藤枝、秋田では結果が出て。FC東京でも苦しい時期があり、FC町田ゼルビアに移籍して今季J2優勝とJ1昇格を達成、いいパフォーマンスを発揮できたと思います。これまでのサッカー人生を振り返り、2回同じ失敗を繰り返しましたけど、「結果が出た後に、どこまで自分を律して上を目指し続けられるのか」が大事なのかなと思っています。