長男の強い望みで、不仲なモラハラ夫との第二子を妊娠。重症つわりに苦しみながらの第二子出産は、長男に支えられ
◆長男に問われた“ほんとうのさいわい” その日の夜、長男にいつものように読み聞かせをした。目を腫らした長男が選んだ物語は、彼のお気に入りの1冊、宮沢賢治の『銀河鉄道の夜』。 “「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」” ジョバンニがいうこの台詞が、長男のお気に入りだった。 「お母さん、お母さんの、“ほんとうのさいわい”ってなあに?」 長男が言った。私は、しばし考えた。彼は幼い頃から、こうして難しい問いを定期的に投げかける。 「お母さんの幸せは、やっぱり家族みんなが健康で仲良く暮らせること、かなぁ」 「じゃあ今、お母さんは幸せじゃない?」 「どうして?」 「お母さんが、元気じゃないから」 誤魔化しのきかない子どもと話していると、大人が日頃かぶっている世間体の薄皮など、なんの意味もないように思えてくる。 「悪阻があるから、たしかに今のお母さんは元気ではないね。悪阻はね、やっぱりしんどい。ごめんね、心配かけて。でも、だから幸せじゃないとは思わないよ。もしこの子がいなくなって、悪阻がない体に戻れたとしても、お母さんはそっちのほうがうんと悲しい気持ちになるんだ」 お腹に手を当てて「この子」と言った時、長男も自然と私のお腹に手を伸ばした。 「お母さん、この子好き?」 「うん、好きだよ」 「俺のことも、そんなふうに好きだった?」 「好きだったよ。会えるのをずっと待っていたし、会えて嬉しいし、こうしてお話しできていることが幸せだし、今も大好きだよ」 言葉は不思議だ。どんなに不安で、苦しくて、つらくても、言葉にした感情のほうがより強く体に満ちてくる。“ほんとうのさいわい”は、いつだってすぐ隣にある。長男は、生まれてから今日までずっと、そのことを私に伝え続けてくれていた。
◆自分よりも大切な存在がある喜び “「なにがしあわせかわからないです。ほんとうにどんなつらいことでもそれがただしいみちを進む中でのできごとなら峠の上りも下りもみんなほんとうの幸福に近づく一あしずつですから。」” 銀河鉄道の中で灯台守が言うこの台詞を、時折思い返す。人間は勝手な生き物で、考えも生き方も日々変わる。「なにが幸せか」はその時によるし、「つらいこと」が必ずしも幸福に近づく1歩になるとは限らない。それでも、この日、長男の温もりを感じながら読んだ馴染みの童話は、驚くほど私の中に染み込んだ。 つらい現実を生きるジョバンニ。心優しいカムパネルラ。2人が乗り込んだ銀河鉄道に、かつて私も乗りたいと夢見ていた。カムパネルラの最後を知っても尚、いや、知ったからこそ、幼い私は銀河鉄道のお迎えをひそやかに待っていた。だが、長男が産まれて、彼の願いに背中を押されて新たな命を宿した私は、昔とはまったく違う心持ちで物語と対峙した。 “「僕もうあんな大きな暗(やみ)の中だってこわくない。きっとみんなのほんとうのさいわいをさがしに行く。どこまでもどこまでも僕たち一緒に進んで行こう。」” 私の声に被せて、長男がお気に入りの台詞を諳んじる。 「俺もこわくないよ。暗いのも、空の上も、水の中も、こわくない」 「お母さんは、こわいな」 「大丈夫、俺がいるから。どこまでも一緒に進んで行こう」 長男の優しさが、カムパネルラのような結末につながらないことを祈った。闇を恐れてほしい。誰よりも自分を優先してほしい。誰かを守る前に、自分を守ってほしい。でも、それを口に出すのは憚られた。私もきっと、息子のためなら迷わず飛び込む。矛盾している、と思う。でも、この時、誰からの押し付けでもなく、自らの意思で「母になってよかった」と思えた。 「一緒に行こうね」 お腹に手を当てて、長男が優しい声を出した。あの声は、きっと次男にも届いていただろう。