ベニシアが亡くなって1年半 いま「延命処置」について考える……カテーテルは彼女が望んだ選択だったのか
「酸素マスクは嫌」とベニシア
ベニシアが元気な頃、よくこんな話をしていました。 「鼻や口とか、腕など体がチューブだらけになって、酸素マスクを付けて生きるなんて嫌だよね。死ぬときが来たら余計なことをせず静かに死にたい」 ベニシアはそう言い、僕も全く同じ考えでした。 それなのに、僕はこの時、ベニシアが「延命するか、しないか」の瀬戸際にいるのだ、ということに気づいていなかったのです。僕たちの使う言葉と、「延命」という言葉に隔たりがあったのだと、今になって思います。 ベニシアにカテーテルをつける。それは、「延命」の出発点に立ったということでした。でも、そのことを理解したのは彼女が亡くなってずっとたってからでした。あの時の判断は、本当にベニシアが望んだことだっただろうか。いまだに思い悩みます。
「治療」と「処置」の間
さらに僕が混乱したのは、「延命治療」という言葉です。「延命処置」と同じ意味で、この言葉の方が一般的なようです。 しかし、ほんとに治療されるなら、腕のいい医者に「延命治療」をやってもらうと、病気が治り、どんどん長生きできるようにも受け取れます。ところが、延命処置を必要とする高齢者が、治療されて回復する例は少ないということを、後になって知りました。つまり、実際は治療されるのではなく、延命させる処置なのです。これはベニシアを自宅介護しながら、いろいろと本を読んで調べるうちに分かったことです。 バプテスト病院に入院していたこの時点では、「延命治療」によりベニシアは元気な体に回復すると、僕は勝手に思い込んでいました。医療や科学は完璧で、医者の言うことを聞いていたら、またご飯を食べられるようになるかもしれないと期待していたのです。 ラテン語には「メメント・モリ」(死を想え)という言葉がありますが、現代では知らず知らずのうちに「死」は遠ざけられているように思います。かつてのように高齢者が自宅で家族に見守られて死ぬことは少なくなり、病院で亡くなる例が全体の8割とも聞きます。 ベニシアがゆっくりと「死」に近づいていたことを、僕はまだ認められずにいました。「延命」に関する知識も理解も足りないまま、また元気になってくれるかもしれないと思いながら、僕は彼女を大原に連れ帰ったのです。