ゴズリングにアギレラ、スピアーズまで...子役時代の同期たちは大スターに、私は「イチゴも買えないのが辛かった」
12歳のアギレラの歌声
『ミッキーマウス・クラブ』のオーディションを受けた際はキャンプに参加した。そこでデローチが最初に仲良くなったのはティンバーレイク。2人は今も「きょうだいのような関係」だ。 「アギレラ(の歌)を初めて聴いたときのことは覚えている。服の中にラジカセか発声器でも隠しているに違いないと思った。あんな歌声が12歳の子供から出てくるなんて、信じられなかったから。あんなふうに歌う子供は初めてだった」 デローチとティンバーレイク、スピアーズ、ゴズリング、T・J・ファンティーニは「すぐ仲間になった」。アギレラと友達になった日のこともはっきり覚えている。 「クリスティーナは1人で食事をしていた。私は誰かが独りぼっちでいるのが好きじゃない。だから彼女のところに行って、私たちの仲間に入って毎日一緒に食べようと誘った。彼女は自分のトレイを持って私たちのところに来た。後で知ったのだけれど、あのとき私が彼女を誘って、皆で仲良くしようとしたことが、私の出演の決め手になったそうだ」 「親も観察されていた......私たちの両親は皆、とても仲が良かった。私たち7人が選ばれた決め手は、そうした全ての要素だったのだろう」 当時はソーシャルメディアもなければ、携帯電話を持っている子供も少なかった。デローチに言わせれば、キャストたちは自分たちだけの小さな世界の中で生きていくことができた。 「世間とは隔絶した、守られた空間の中にいるみたいだった。番組が世界規模で大ヒットしているなんて、まるで分かっていなかった」と、デローチは言う。 「最近、コロンビアとかヨーロッパとかいろんな国の人たちと会う機会があるんだけれど、みんな『ミッキーマウス・クラブ』を見て育ったって言うの」 「そういう話とか、番組の影響の大きさについて聞かせてもらうと本当にうれしい」 番組終了後、デローチは他の出演者たちとは違う道を歩んだ。97年にガールズグループ「イノセンス」のメンバーとなったのだ。マネジャーは、人気ボーイズグループのバックストリート・ボーイズやイン・シンクの仕掛け人であるルー・パールマンだった。 だがイノセンスがアルバムを出す前に、パールマンは逮捕された。 「まさにブレイク直前で、そのために私たちはものすごく頑張っていた。でも捜査が始まって、(パールマンが)逮捕されて彼の関わっていた悪事が全て白日の下にさらされた」と、デローチは言う。 「レーベルはルーが関係する全グループの活動を停止させた。イノセンスも含めて」 パールマンは2008年に資金洗浄や共同謀議などの罪で禁錮25年の実刑判決を受け、服役中の16年に死亡した。 デローチは音楽業界との別れを「創造的な傷」と表現する。スピアーズやティンバーレイク、アギレラが世界的ポップスターになり、ゴズリングが大手映画会社の作品に出演するようになるのをよそに、デローチの音楽業界でのキャリアは不発に終わり、コミュニティーカレッジに通う日々だった。 「人生経験をたっぷり積んだのは確か。音楽ビジネスをやっていくなかで、たくさんの教訓を学んだ。信頼している相手でも、(おかしなことをしていないか)よく気を付けなければならない、とかね」とデローチは語った。 デローチはこうも述べた。「当時を振り返ると──私には、ジャスティンやクリスティーナやブリトニー、ライアンたちのようなキャリアは積めなかったわけで。みんなは絶好調で仕事をしているのに、自分はコミュニティーカレッジにいて、(お金がなくて)イチゴも買えないというのは本当につらかった」