家族と隔てられ「絶望の淵」 ハンセン病患者たちが残した絵画の数々、命の痕跡を刻んだ芸術の行方
【取材後記】残された絵画を前に、何を「思ひ浮べる」か
「刻みつけてさへおけば何時かはふつとそのよき人達を思ひ浮べることが出来る」 国立ハンセン病資料館で渡された企画展の図録を開くと、多磨全生園の入所者だった山岡響さんの、そんな言葉が飛び込んできました。 誤った認識のもと、長きにわたって社会から隔離され、差別の対象とされてきたハンセン病患者・回復者の人々。 苦難の中にいた彼・彼女たちにとって、芸術活動は、去っていく仲間たちの記憶を、自分自身の命の痕跡を“刻みつけ”る、大切なよりどころだったのではないでしょうか。 長島愛生園で70年余りを過ごした「長島のゴッホ」山村昇さんは、30代で右目、70代で左目の視力を失い、絵筆はとうに握らなくなっていました。それでも、昨年6月にお会いした際、少年時代に描いた瞳の絵のことを詳細に語ってくれました。 わずかに残された絵画たちを前に、私たちは何を“思ひ浮べる”のか。山村さんのまなざしが、今もじっとこちらを見つめているように感じてなりません。 ※この記事はwithnewsとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。