家族と隔てられ「絶望の淵」 ハンセン病患者たちが残した絵画の数々、命の痕跡を刻んだ芸術の行方
「絵画活動への理解が深くなかったのでは」
北條民雄の小説「いのちの初夜」や明石海人の歌集「白描」、谺雄二の詩集「ライは長い旅だから」など、ハンセン病患者・回復者たちが世に送り出した作品は、日本の文学史において一つの位置を占めています。 しかし絵画では、文学作品のように保存・継承が進んできたとは言いがたい現状があります。 吉國さんは、隣接する多磨全生園の状況について「1970年代以降の絵画は寄贈などを通じてある程度保存されてきたものの、現在まで残ったものはごく一部に限られてしまう」と語ります。 「療養所はあくまで医療施設なので、職員や入所者の間で絵画活動への理解が深くなかったのではないでしょうか。そのため、故人の絵画を残そうとする動機付けにも乏しかったと考えられます」 さらに、▽園内の限られたスペースで絵画を残すことが困難▽文芸は園内誌に掲載されて広く共有されたが、絵は個人の所有物にとどまった▽それゆえ、本人が亡くなるなどした際に処分されやすかった▽遺品として残っても、制作年や署名といった情報が記されないことが多く、史料として位置づけるのが難しい、といった点も影響していると指摘します。 吉國さんは「本人が現実に絵筆を取り、この作品に向かっていた。絵にはそうした身体の息づかいを感じるようなリアリティーがあります。ハンセン病患者・回復者の方々の生きた証しを示す上で、絵画作品を後世に引き継ぐことは、残された重要な課題です」と訴えます。
入所者たちから感じた「無念さ」
「持ち主が亡くなれば、絵はどうなるんだろう? こんなすごい作品、捨てられたら困る。その一心でした」 ハンセン病元患者たちの作品を残そうと活動するキュレーターの藏座江美さんは、そう語ります。 熊本市現代美術館で学芸員をしていた2002年、菊池恵楓園(熊本県合志市)の入所者たちの絵画クラブ「金陽会」の作品に初めてふれた藏座さん。大事に育てた花を描くもの、誰もが想像もしないような色で山を塗るもの……。一つ一つが、絵を描くことそのものへの歓喜や祈りをたたえ、生命の光を放っている。その力に圧倒されました。 2007年には任された企画展の実施に向け、全国13カ所の国立療養所と韓国、台湾の療養所で残された絵画などを訪ね歩いたといいます。 そのなかで多くの入所者たちが、誰かが自分たちの作品を芸術として求めていることに驚き、「こんな時代が来るとは」と語っていたと、藏座さんは振り返ります。 「その言葉には、『作品がもっと残っていれば』という無念さがにじんでいるように思えてなりませんでした」 2015年に美術館を退職して以降は、金陽会の作品の保存活動に注力。ボランティアの手も借りながら、900点余りある作品群の画像を撮り、デジタルアーカイブ化しました。2022年には恵楓園内の資料館が新装され、いま、絵画たちはそこに保管されています。 以前に展覧会を見た中学生から、「後輩たちにも金陽会の絵を見てほしい。また学校で絵を展示してください」とのメールを受けとったという藏座さん。 「ほんの少しでも、絵を見た人々の中に何かが残り、その絵のこと、その絵を描いた人たちのことを思い出してくれればうれしいです」