軍事力でも風土を乗り越えることは難しい── 「一帯一路」と日本の地政学
2018年は日中平和友好条約締結40周年です。平成の30年間、着実に大国として成長した中国は、一帯一路構想を掲げて、さらに国際舞台における影響力を強めようとしています。 この一帯一路構想と日本のかかわりを、日中の歴史や風土からとらえるとどのようにみることができるでしょうか。建築家で文化論に関する多数の著書で知られる名古屋工業大学名誉教授・若山滋さんが考察します。 ----------
日本の問題として
ほとんど人が入らない細い路地の奥にある小さな祠(神社)に初詣をして、世の平安という大きな願をかけた。 「平成」という時代も、残すところ一年余だ。 激動の昭和と比べれば「平静」な30年であったといえようか。とはいえ北朝鮮危機もあって、残りの期間が静かに経過する保証もない。 振り返れば、少子高齢化、人口減少、経済低迷、累積財政赤字と、次第に国力が衰退する時代であった。さらに東日本大震災をはじめとする全国各地の自然災害である。平成の両陛下は、史上もっとも人々の哀しみに寄り添った天皇皇后として記憶されるに違いない。深く感謝申し上げたい。 一方この30年間、日本とは正反対に発展を続けたのが中国である。あたかもシーソーのように、こちらの富と力が下がり、あちらの富と力が上がったのだ。 そしてその中国が近年打ち出した「一帯一路」構想は、平成の次に来る時代の世界動向をつくっていく可能性を有している。 「一帯一路」とは、中国からヨーロッパまでを結ぶ「一帯=陸のルート」と「一路=海のルート」であり、かつてのシルクロードと、俗にいわれる海のシルクロード(その地図上の形から「真珠の首飾り」とも呼ばれる)。中国を主体とする、ユーラシアの東西にわたる経済圏の構築を意味する。 日本でも、アメリカでも、この構想の政治的、経済的な意味合いが論じられているが、建築様式と自然風土の関係を研究してきた筆者としては、歴史と地理のワイドスコープをとって、風土論、都市論、地政学などの視点から、これを日本の問題として考察してみたい。 2018年は、日中平和友好条約締結40周年でもある。