軍事力でも風土を乗り越えることは難しい── 「一帯一路」と日本の地政学
日本の「一帯一路」・北進論と南進論
そこで思い浮かぶのは、日本の「一帯一路」である。 どうも発展する国は、その力を国境の外側に拡大しようとする傾向があるようで、明治維新以来、太平洋戦争の敗戦まで、日本では「北進論」と「南進論」とがしのぎを削っていた。北に進出するべきか、南に進出するべきかという議論が国論を二分していたのである。 地理的に、日本列島の北は大陸の中国東北地方(満州)とロシアにぶつかるが、南は東南アジアと太平洋に開けている。つまり北進論は「陸のルート=一帯」であり、南進論は「海のルート=一路」である。当然ながら北進論は陸軍に支持され、南進論は海軍に支持された。 日本にとって長期にわたる脅威は「ロシア(ソビエト)の南下」であって、北進論はロシアに対する防衛を主として唱えられた。逆に、南には大きな障壁がなく、南進論はアジア主義を背景にして自由交易を旨とし、大東亜共栄圏構想に結びつく。 日清戦争による台湾領有は南進論、日露戦争後の韓国併合は北進論といえる。しかし関東軍が独走して満州事変を起こしたあたりから収拾がつかなくなり、日中戦争に入ってから日本の拡大は戦略的冷静さを失った。オランダとフランスがドイツに降伏して、その隙を突いた武力南進論が主張され、真珠湾攻撃以後は、全方位に敵をつくるような状況であった。兵たちは泥沼のような風土を相手に戦わざるをえない。死者の多くは、食糧不足と風土病によるという。 結局日本には、陸軍と海軍の対立と独走をコントロールして大戦略を立てる強いリーダーシップが存在しなかったのである。
風土的補完こそ発展
戦後、日本の北進力と南進力は消滅したように見える。しかしその指揮権はアメリカが握ったのだ。共産主義の拡大を止めるアメリカの戦略によって、日本の北進力は対ソビエトに向けられ専守防衛。また南進力も、アメリカの意向に沿うかたちで、援助をともなう東南アジア経済開発に向かう。 中国との国交回復によって、大陸との経済交流は拡大したが、その結果としての中国の台頭によって関係が悪化。結局、安全保障はアメリカに頼らざるをえないまま、大きな経済負担と自衛力強化が求められ、現在のような状況に至っている。 安倍外交の中国包囲網という考え方は、かつての南進論が形を変えた海を介した連合によって、またかつての北進論が形を変えた大陸のロシア(ソビエト)に代わる中国と対峙しようという構想である。その意味では、日本の「一帯一路=北進論・南進論」は生きているのであり、そこに「海のルート=アメリカ」と「陸のルート=ロシアと中国」という、巨大国家の存在が強い力学(推力あるいは反力)をもって作用せざるをえないのだ。 総合的に考えれば、日本は基本的に海の国家であり、「一路」の論理である。逆に中国は基本的に陸の国家であり、「一帯」の論理である。 古代、シルクロードという「一帯」と、遣唐使船という「一路」をつうじて、日本は仏教という国際思想と、中国の漢字文明を受容した。中世、日宋貿易、日明貿易は、中国の「一帯」と日本の「一路」を結び、両国の経済と文化の発展に寄与した。 つまり中国の「一帯一路」と日本の「一帯一路」は、互いにその風土に即した補完協力によって成功するというのが歴史の地政学的帰結なのだ。 いかなる文明も、いかなる国家も、また政治も、経済も、文化も、「風土的補完」の関係こそ発展の道ではないか。 最近は、大きな神社神宮ではなく、小さな祠のような神社に参拝することにしている。『下町ロケット』や『陸王』といった池井戸ドラマの(大企業より小企業という)影響かもしれない。