軍事力でも風土を乗り越えることは難しい── 「一帯一路」と日本の地政学
基本的には経済圏
「一帯一路」構想は、2013年に習近平主席が唱えはじめ、2017年の共産党大会で党規約に盛り込まれることによって、中国の基本的な国家路線となった。習主席は党の「核心」とされていることから、この構想は、毛沢東の国家建設、トウ小平の経済解放の次に来るべき、中華文明の国際的拡大を目した、いわば現代中国の大義と位置づけられる。 基本的には、日本とアメリカを中心としたADB(アジア開発銀行)に対抗して設立された中国を中心とするAIIB(アジアインフラ投資銀行)と一体で機能し、アメリカを中心に構想されたがトランプ大統領の誕生でそのアメリカが抜けてしまったTPP(環太平洋パートナーシップ)に対抗する、つまり経済交流圏の構築である。したがって国際的には歓迎の基調であるが、日本とアメリカには、軍事も含めた政治的覇権として警戒する向きもある。 太平洋への軍事進出は日米同盟の固さを認識して得策ではないと判断し、ユーラシアに向かったととらえれば、日本にとっては圧力が緩和される方向であり、またその地理的な構造が領域でなくルートであるところは、かつてのシルクロードと同様、文化交流に重点を置いているとも感じさせる。 経済界の後押しもあって、安倍政権は協力の姿勢を打ち出しているが、この膨張過程の大国に対しては常に、協調と対抗、両様の構えが必要であるという議論は成り立つだろう。 そして最近、アメリカの指導層は、太平洋にインド洋を加えて「インド太平洋圏の重要性」を強調している。これは安倍首相の意見によるともされるが、インド洋はあたかも、アメリカと中国を中心とする二つの構想の領域争いの様相を呈しているのだ。 そう考えれば、第二次大戦後の世界は、冷戦構造の時代、冷戦以後の時代、「一帯一路=新たな冷戦」の時代、と変化するともとらえられる。
風土力の抵抗
しかし筆者は少し異なる視点から、この構想には大きな困難がともなうと考えている。 経済的、文化的にも難しいのだが、軍事的、政治的覇権に結びつくものであればなおさらである。それは個人的な体験と専門的な研究とから総合的に感じる「風土」の力による。 筆者の青春時代はベトナム戦争と重なっていた。 それが若者たちの政治運動の背景でもあった。そして結局、世界最大の軍事強国アメリカが、アジアの十分に近代化したとはいえない小さな国(北)ベトナムに敗れたのだ。筆者はこれを「文明の風土に対する敗北」と受け止めた。研究の方向を、工業化構法から風土的構法に180度転換したのも、それが影響している。 多角的オプションの戦略を唱えたロバート・マクナマラ国防長官(のちの世銀総裁)をはじめとするアメリカ東部の英才たちが駆使したコンピューターは、ジャングルという風土の葉陰に隠れたベトコンの力を読み切れなかったのだ。 歴史を振り返ってみると、これに似たことは何回か起きている。 ナポレオンとヒトラーがロシアで失敗したのは、ともに「冬将軍(厳しい吹雪)」の力による。ナポレオン軍は、大兵力をもってロシアに侵攻したが、モスクワは空っぽ。期待した降伏の報もなく時間が経ち、兵站が破綻して帰還を決意。しかし途中、猛烈な吹雪とロシア軍の追撃に見舞われ、寒さと飢えで壊滅状態となった。 ヒトラーのドイツ軍は、機甲師団による電撃作戦でポーランドからソビエトに侵攻し、たちまちレニングラードを包囲、モスクワに向かったが、クレムリンにあと一歩のところで冬将軍に見舞われた。兵站が伸び切っていたため冬季装備が届かず、兵力を集中させたソビエト軍の猛攻によって挫折している。 日本の対中戦争も、実は風土との戦いだったのではないか。局地戦で終わらせるはずが、北支、上海、南京と深入りし、次第に泥沼化した。大本営参謀本部で作戦を指揮したエリートたちの頭脳は、西欧式の軍事理論と日本式の大和魂で満たされ、中国の奥深い自然風土、社会風土を理解していなかった。 また南方の、たとえばインパール作戦でも、ほとんどの兵士が、敵の銃弾にではなく、飢えとヒルと病に倒れたのである。筆者は設計事務所時代、ビルマ(現在のミャンマー)で農業研修センターを設計した経験があり、雨季には道路まで冠水することから、この作戦の無謀さを身にしみて感じた。大和魂でどうにかなるものではないのだ。 いかに強大なまた近代的な軍事力をもってしても、風土を乗り越えることは難しい。 そういった意味で、中国の「一帯一路」構想も簡単ではないと思われる。西アジア、アフリカ、ヨーロッパの異なる風土とともに、ヒンズー教、イスラム教、ギリシャ正教など異なる文化と衝突せざるをえず、すでにあちこちで問題が出ているという。 建築様式の基本は風土であるが、軍事、経済、文化の基本にもそれがあるのだ。 これまで述べてきたように、人類は都市化する動物である。 そこに都市化を進める力としての「都市力=文明力」と、都市化に抵抗する力としての「風土力」がはたらく。政治も、経済も、文化も、そして戦争も、その過程に生じる力学的な現象なのだ。