『買物ブギー』には歌詞が頭に入らないシヅ子が漏らした言葉も取り入れた?初年度だけで売り上げ45万枚<ブギウギ路線代表作>誕生秘話
まもなく最終回を迎える朝の連続テレビ小説『ブギウギ』。24年03月21日には『ブギウギ~時を越える服部良一メロディー~スペシャルコンサート』が放送となり『東京ブギウギ』などが演奏される予定です。そこで今回、笠木シヅ子さんの代表曲『買い物ブギー』誕生秘話について娯楽映画研究家でオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明さんが記した記事を配信いたします。佐藤さんいわく「『買い物ブギー』は、特に関西ことばに触れる機会のなかったエリアの人々に強烈なインパクトをもたらした」そうで――。 人気絶頂となった『ブギウギ』モデル・笠置シヅ子。11歳の美空ひばりはその歌をレパートリーに「ベビー笠置」と呼ばれるも… * * * * * * * ◆買物ブギー 服部良一と笠置シヅ子のブギウギ路線のなかで、最もインパクトのあるノヴェルティ・ソングの傑作「買物ブギー」(作詞・村雨まさを)の誕生にはこんなエピソードがある。 1949(昭和24)年、服部がひょう疽で入院した。 見舞いにきたシヅ子に「センセ、何か新曲を」と頼まれ、思いついたのが、上方落語の「無い物買い」だった。 それが「買物ブギー」として1950(昭和25)年6月15日に発売された。 「無い物買い」はこういう噺である。 退屈を持て余している喜六と清八が、金物屋で「茄子か胡瓜のつけもんないか?」と尋ねる。 いぶかしがる店主。 看板に「なものるいくき(菜物類・茎)とあるがな」と清八。 「かなものるいくき(金物類・釘)」の看板の「か」の字が隠れていたのを笑ったというもの。 二人は次第にエスカレートして、和菓子屋、魚屋で次々と「無い物買い」をしてゆく。 服部は、この落語をベースに、歌の主人公が公設市場へ行って、様々な店の主人と「おっさん、これナンボ?」とやりとりしながら、買い物していく姿を、コミカルかつスピーディーに描いた。
◆「無い物買い」の世界 作詞の村雨まさをは、服部のペンネーム。 魚屋の親父が取れ立ての魚をすすめても「オッサン買うのと違います」と、刺身にしたならナンボかおいしかろうと思っただけ、と切り返す。 まさに「無い物買い」の世界。 関西弁ネイティブのシヅ子の歌唱もおかしく、大阪の言葉を知らない地域の子どもたちが「オッサン、オッサン、これなんぼ」を連発。 歌のレッスン中、なかなか歌詞が頭に入らないシヅ子が「ややこし、ややこし」とつい漏らした言葉を「それ、いただくね」と服部は歌詞に取り入れた。 オチの「わて、ホンマによう言わんわ」のフレーズは、関西ことばに触れる機会のなかったエリアの人々に強烈なインパクトをもたらしたが、これは1949年末公開の『エノケン・笠置のお染久松』のなかで、あきれたぼういずの山茶花究、益田喜頓、坊屋三郎が「ああ、知らなんだ」と歌う劇中歌のオチとして「わて、ホンマによう言わんわ」と唄ったのをリフレイン。
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