「すごい貧血…原因は練習しすぎ」水泳・大橋悠依の運命を変えたドクターストップ「休むと“やる気がない”と言われ…」輝かしい金メダルに壮絶な過去
食事の改善、母のサポートに感謝
原因が判明した後は食事を改善した。寮の食事で出されるものに加え、実家の母が冷凍で送ってくれたヒジキやアサリ、シジミ、切り干し大根など、鉄分が多く含まれる料理を積極的に食べた。最初は毎食後に薬を服用し、その後も1年ほどは鉄分を補う薬を服用。1カ月過ぎると貧血になる前と同じようにハードな練習にも耐えられるようになり、泳ぐ量も一気に増えた。 「全力で戦える」 「泳げることが楽しい」 診断から2カ月足らずの10月に行われた日本選手権の選考会では標準記録を突破。前向きな気持ち、そして食生活の見直しで調子を取り戻したことが、見事に数字として現れた。 貧血のほか、怪我との闘いも長かった。大学時代は1年と2年次に膝蓋骨を二度も脱臼。東京五輪以降は古傷の膝や股関節の痛みに悩まされ、泳ぎのバランスが崩れたこともあった。自身の経験を通して切実な思いがある大橋は、後進の育成に携わると同時に大学院に進み、栄養学を学ぶ予定だという。 「自分が不調になって、約半年原因が分からなかったとき、貧血など内科的な要素を疑う人が自分自身も含めて誰もいませんでした。アスリートとしては大打撃だったと思いますし、だからこそ自分の経験を今後の競泳界、後進育成に活かせればと思っています。私自身、長く競技生活を続けてきたなかで大切だと思ったのは、身体と心の状態を一番良い状態で維持すること。それが可能な環境づくりはすごく重要だと思うんです。私のような隠れ貧血の選手も、実は多いはず。だからこそまずは自分が学んで、苦労する選手を少しでも減らしたいですね」
最高の結果を残した東京五輪、しかし…
努力と才能が花開いた2017年の日本選手権では、400m個人メドレーで当時の日本記録を3秒以上も縮め、世界選手権では200m個人メドレーで銀メダルを獲得した。 25歳で初めてたどり着いた東京五輪では、イメージした泳ぎができず大会前に「絶不調」を経験。直前の長野合宿で調子が上がらず、平井コーチに「東京に帰りたい」と泣きついた。 「その時、平井先生に『もうオリンピックに出なくていいよ』というようなことを言われたんです。それが衝撃で。『一晩あげるから自分の中で考えなさい』と言われ、自分が本当に何をしたかったのかと考えたとき、どんな結果になろうともオリンピックに出たいという結論になったんです。東京に出なきゃ、それまでの努力が報われないなって」 本番では五輪初出場で夏季五輪日本女子初の2冠の快挙を達成し、最高の結果を残した。 しかし、2つの金メダルという華々しい結果の裏で、その後の日々は決して順風満帆とはいかなかった。東京五輪後、再び大橋を待ち受けていた苦悩とは――。 〈後編に続く〉
(「オリンピックPRESS」石井宏美 = 文)
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