不滅の大記録を破ったNBAのレブロン・ジェームズ、「選手以上の存在」としてコート外でも活躍
米プロバスケットボールNBAの2022~23年シーズンは、不滅の大記録が破られた、歴史の節目として記憶されるかもしれない。レーカーズの大スター、レブロン・ジェームズが38歳でカリーム・アブドゥルジャバーの持っていた通算3万8387点の最多得点を更新。「これを目標にしていなかったから夢みたい。不思議な感覚」と率直に口にした。18歳でのドラフト全体1位指名から20年。輝かしい記録だけでなく、「MORE THAN AN ATHLETE(選手以上の存在)」としてコートの外でも強い存在感を放ってきた。(共同通信=木村督士) ▽ジョーダンに憧れて付けた「23番」 ジェームズはオハイオ州アクロン出身。後にライバルとなるウォリアーズのステフィン・カリーと同じ病院で生まれたが、元NBA選手を父に持つカリーに対し、シングルマザーの母グロリアさんに育てられるなど、境遇は対照的だった。 自身が共著者に名を連ねた著作「シューティング・スターズ」では、地元のアメリカンフットボールチームのコーチだったフランクさんとパムさんのウォーカー夫妻がジェームズ親子の苦境を見かね、一時的に世話を引き受けた経緯が描かれている。ジェームズを9歳ごろ、バスケットボールに誘ったのもフランクさん。初めて最優秀選手(MVP)に輝いた2009年の授賞式で、ウォーカー家に「あなたたちがいなければ、今の自分はいない」と感謝したのは大げさではない。
2002年に17歳で「選ばれし者」として米誌「スポーツ・イラストレーテッド」の表紙を飾った。高校時代からマイケル・ジョーダンに憧れて「神様」と同じ23番をつけ、プロ入り後も6番を選んだ時期を除き自身の番号とした。 2003年に地元アクロンと同じオハイオ州のクリーブランドが本拠地のキャバリアーズに入団。高校卒業後に直接プロ入りした選手としては破格の注目を浴び、AP通信はデビュー戦の活躍を「かつて10代がこのレベルで披露したことのない技術で魅了」と評した。 ▽「裏切り」から一転英雄に 初優勝までは長かった。最初に所属したキャバリアーズでは2007年にNBA決勝まで進んだが頂点には立てなかった。2010年オフには「ディシジョン」と題したテレビ番組でヒート移籍を発表。優勝できずに球団を去ることに加え、ドウェイン・ウェード、クリス・ボッシュとスター選手主導で「スーパーチーム」を形成する先例となったことも批判を呼んだ。 しかし2012年にヒートで悲願の初優勝を果たすと、2013年に2連覇達成。キャバリアーズに復帰した2016年はライバルのカリーがけん引するウォリアーズを相手に史上初めて1勝3敗からの逆転勝ちを収めた。球団史上初、クリーブランドにとっても米主要プロスポーツで52年ぶりとなる優勝を届け「クリーブランド、この優勝はあなたたちのものだ」と叫んで喝采を浴びた。かつてチームを離れた際に球団オーナーから「臆病な裏切り行為」と非難されたが、一転して英雄となった。2018年に加入したレーカーズでは新型コロナウイルス禍でバブル開催となった2020年の決勝を制した。これまでに在籍した球団を全て優勝に導いている。