日本代表、歴代ストライカーの系譜(2)熱狂の日韓W杯、日本中を歓喜に包んだゴールを決めたのは?
日本代表は初出場から途切れることなくワールドカップ本大会に出場している。その間、中山雅史や高原直泰、大迫勇也など多くのストライカーが日本代表でプレーしてきた。今回は、1998年のフランス大会からロシア大会まで、ワールドカップ当時のセンターフォワードのレギュラーを紹介する。※所属チームは大会前時点、年齢は初戦時点のもの。
日韓W杯
監督:フィリップ・トルシエ 戦績:ベスト16 背番号13:柳沢敦(鹿島アントラーズ) 生年月日:1977年5月27日(25歳) 個人成績:3試合出場/0得点1アシスト 背番号11:鈴木隆行(鹿島アントラーズ) 生年月日:1976年6月5日(25歳) 個人成績:4試合出場/1得点0アシスト ワールドカップに出場した城彰二や中山雅史はフランス大会後も起用されていたが、世代別の日本代表監督を兼務するフィリップ・トルシエは、若い選手たちを積極的にA代表に引き上げた。シドニー五輪後の2000年10月に行われたアジアカップには高原直泰、柳沢敦、北嶋秀朗、久保竜彦、西澤明訓という20代前半のFW陣で臨むと、高原と西澤が5ゴールずつを挙げて日本代表の優勝に大きく貢献した。 高原は所属するジュビロ磐田でも00年のベストイレブンに選ばれる活躍を見せた。01年8月にはアルゼンチンのボカ・ジュニアーズに移籍を果たしたが、チームで確固たる居場所を築くことはできなかった。それでもJリーグに復帰して結果を残し、エースとしてワールドカップでの活躍を期待された。 しかし、遠征先のポーランドから経由地のパリに向かうフライトを終えると、高原の左胸に痛みが襲った。帰国後は痛みを抱えながらプレーを続けたが、静脈血栓塞栓症(エコノミークラス症候群)と診断された。 高原を欠いたFWには、柳沢、鈴木隆行、西澤、森島寛晃、中山の5人が選ばれた。鈴木は01年4月にデビューすると、コンフェデレーションズカップのカメルーン戦で2ゴールを決めている。中山は5月の欧州遠征に参加していなかったが、ノルウェー戦の惨敗を受けてベテランの必要性を感じたトルシエが招集を決断した。 ベルギーとの初戦には鈴木と柳沢が起用された。57分に先制を許したが、直後に小野伸二のロブパスに反応した鈴木がDFラインの裏を取る。相手DFをかいくぐって右足を伸ばすと、つま先に当たったボールはGKをすり抜けてゴールネットを揺らした。 直後に稲本潤一のゴールで逆転に成功したが、試合終盤に追いつかれて引き分け。続くロシア戦は柳沢がクロスをワンタッチではたくと、稲本が2試合連続となるゴールを決めて勝利した。1勝1敗で迎えたチュニジア戦では、後半開始と同時に起用された森島がゴールを決めて2-0で勝利。日本代表は2勝1分でグループステージ突破を決めた。 トルコとのラウンド16で、トルシエは驚きの起用を見せた。ここまで先発で起用されてきた柳沢と鈴木、チュニジア戦でゴールを決めた森島をベンチに置き、ここまで出番がなかった西澤と左アウトサイドが本職の三都主アレサンドロを2トップに配置した。奇策はうまくいかず、後半開始と同時に三都主を下げて鈴木を投入。終盤には森島を入れたがゴールは奪えず、DF陣のミスから許した失点が決勝点となり、準々決勝進出を果たすことはできなかった。
フットボールチャンネル