37歳で“3男1女の父親”の織田信成が全日本で「4位」になれたシンプルな理由「前の現役のときから…」
涙と笑顔に包まれて、集大成の舞台を終えた。場内には、あらん限りの拍手と歓声がこだました。37歳の織田信成は、その祝福を受けるにふさわしい結果とパフォーマンスを披露してみせた。 【家族写真】妻の茉由さんは中学の同級生。3男1女に恵まれた子だくさんの父親な姿 12月21日、フィギュアスケートの全日本選手権の男子フリーを終えて、表彰台こそ逃したものの織田信成は4位に入賞した。 1987年生まれ、7歳でフィギュアスケートを始めてすでに30年が経つ。2010年のバンクーバー五輪出場をはじめ第一線で活躍したのち、2013年に引退。その後はアイスショーやテレビ解説などを中心に活動していたが、「おじさんでもできるところをみせたい」と2022年に現役復帰を発表した。 20代半ばで競技生活から退くことが珍しくないフィギュアスケートの世界で、37歳の織田はベテランという域を大きく超えている。それでも11年ぶりに全日本選手権出場を決め、並みいる若手選手たちを抑えて4位入賞という結果を残してみせた。
「全然平坦な道ではなかったです」
ショートプログラムの「マツケンサンバII」の冒頭で4回転トウループ-3回転トウループの連続ジャンプを決めると、場内は大きな歓声に包まれた。その後も曲調をとらえた演技で5位につける。演技が終わると会場はスタンディングオベーションに包まれ、織田も涙を隠さなかった。 迎えたフリーでは最初の4回転ジャンプこそ転倒したものの、その後は持ち直して高得点をマーク。他の上位選手のミスもあり4位に踏みとどまった。 「全然平坦な道ではなかったです」 試合後の織田の言葉が、織田のスケート人生を象徴していた。20代の頃から怪我に苦しみ、1度目の引退後も一本道ではなかった。
2022年に現役復帰を発表してからも、順風満帆というわけではなかった。復帰を決断した織田は目標を2023年の全日本選手権出場に定め、順調に成績を残して予選にあたる2023年の近畿選手権で準優勝。西日本選手権出場を決め、ここで上位6人に入れば全日本に進める。そして西日本選手権では見事に優勝し、出場権を得たかにみえた。 しかし昨年の全日本に織田は出場していない。日本アンチ・ドーピング機構が義務づけている大会6カ月前までの届け出と、競技外検査が履行できていなかったのだ。目標としていた全日本選手権出場は1年お預けになった。 それでも気持ちを奮い立たせて1年後の全日本を再び目指し、近畿選手権で3位、西日本選手権では連覇を決め、11年ぶりの全日本への出場を今度こそ現実のものにした。 引退期間中もアイスショーなどで滑る機会があったとはいえ、競技生活の真っ只中にいる現役選手との練習量の差は歴然だ。11年という長い空白を経て全日本4位に返り咲き、4回転ジャンプまで決められたのはなぜだったのだろうか。