2人は一度死んで新たに生まれ変わる…道長がこれまで以上に魅力的に感じるワケ。大河ドラマ『光る君へ』第42話考察レビュー
三郎だったあの頃のように…。
道長とまひろは百舌彦の導きによって顔を合わせ、川辺を歩きながら語り合う。川辺といえば、2人が幼い頃に出会った場所。 2人はそこからしばらく離れ離れになるが、少し成長してまた川辺で再会を果たした。まひろにプレゼントした扇にも描かれていた思い出の川辺で、道長は「誰のことも信じられぬ。己のことも」と弱音を吐く。 直秀(毎熊克哉)のように理不尽な殺され方をする人が出ない世を作るために、よりよき政を。道長はそんなまひろとの約束を胸に生きてきたが、いつの間にか周りは敵だらけで誰のことも信じられなくなった。 よりよき政のためなのか、それともただ権力を得るためなのか、自分の行動原理も道長はわからなくなっていたのではないだろうか。 それでもあの約束がなければ、生きる意味も見出せぬ道長にまひろは「この川で2人流されてみません?」と語りかける。半分冗談で、半分本気だったのではなかろうか。 道長が「わかった」と言えば、まひろはそのまま2人で心中するつもりだったのかもしれない。だが、道長は「お前は俺より先に死んではならん。死ぬな」と答えた。そんな道長に、目に涙を溜めながらも毅然と「ならば、道長様も生きてくださいませ。道長様が生きておられれば、私も生きられます」と返すまひろ。 その言葉を受け、堰を切ったように泣き出す道長は、誰もが畏れ敬う左大臣・道長ではなく、純粋に民の幸せを願っていた頃の三郎に見えた。 あの川辺で2人は一度死んだのかもしれない。そして新たに生まれ変わり、ここから再び約束を胸に歩き出すのだろう。放送もあと残り2ヶ月というタイミングで、道長とまひろがソウルメイトであることを改めて強く感じさせるエピソードだった。
実資と道綱の変わらなさ
時は絶えず移ろい、人は良くも悪くも変わっていく。そんな中で、変わらずにいてくれるのが実資と道綱(上地雄輔)だ。三条天皇から上卿を務めてほしいと頼まれた時も、「天に二日なし、土に二主なし」と言って受け入れた実資。 どのような状況にあっても中立な立場を崩さず、その時々で自分のなすべきことを見極める冷静さは流石の一言だ。顔芸も相変わらずのインパクトで、シリアスな展開にあっても私たちをふふっと笑わせてくれる。 道長が病に倒れた頃、「左大臣の病を喜んでいる者がいる」と書かれた怪文書が出回り、そこには実資や道綱の名前が記されていた。実資は驚きながらも放置を決めるが、道綱は倫子(黒木華)に止められながらも床に伏せる道長に向かって「俺は喜んではおらぬぞ!あれはうそだからな!俺だけはお前の味方だからな!」と必死に釈明する。 妾の子でありながらも出世を果たし、三条天皇からは側近の1人に選ばれた道綱。とはいってもお調子者で、どこか頼りないところは昔のままだ。そんな実資と道綱の変わらなさに、救われている視聴者も多いのではないだろうか。 【著者プロフィール:苫とり子】 1995年、岡山県生まれ。東京在住。演劇経験を活かし、エンタメライターとしてReal Sound、WEBザテレビジョン、シネマズプラス等にコラムやインタビュー記事を寄稿している。
苫とり子