『お坊さまと鉄砲』、ブータン初めての選挙【えのきどいちろうの映画あかさたな Vol.68】
これはむちゃくちゃ考えさせられる映画でしたね。とりたてて難しいところはどこにもないんですよ。のどかなブータンの景色がスクリーンに広がる。ヒット作『ブータン 山の教室』(19)のパオ・チョニン・ドルジ監督の第2作です。前作は教育でしたよね。ブータンの山間部で暮らす人々にとって教育はどんなものであり得るのか。親の手伝いをして育つ子どもにとって学びはどういう価値を持つか。それが声高なメッセージじゃなく、素朴で美しい日常を通して描かれていた。またブータンの子どもが可愛いんだ。皆、どこか日本人にも似た顔立ち、背格好で親近感もあった。着物が和服に似ているのもいいですよね。まぁ、そういうのはこっちから見た勝手なノスタルジーやセンチメンタリズムなんだけど、「僕らが忘れてしまった何かがブータンにある」ような気になります。 ここ重要なところで、また後から出てくるので覚えといてください。もしかするとけっこう厄介な呪い(?)のフレーズかもしれませんよ。「僕らが忘れてしまった何かがブータンにある」、それって本当でしょうか。 今度の主題は選挙なんですよ。いいとこ突いてきますよね、パオ・チョニン・ドルジ監督。教育と並んで近代化の礎となる選挙です。実は2006年、国王の退位を受けてブータンは民主化へ舵を切ることになったんです。それまで王政しか知らなかったブータン国民は初めて選挙を経験します。映画はその2006年、山あいの村ウラを舞台にして「初めての選挙」をめぐるドタバタを描きます。『お坊さまと鉄砲』ってタイトルがいいですね。映画の冒頭、ブータン初の選挙が実施されると知った村の高僧が弟子に言うんです。「次の満月までに銃を2丁、用意しなさい」。高僧は理由を告げません。弟子は山を下りて、銃を求め歩きます。 「初めての選挙」って日本人にもあったわけですよね。最初は特権的な富裕層だけが選挙権、被選挙権を持っていて、それが成人男子に拡大し、やがて女子も権利を持つ。僕らはそういうのが自明になった戦後に生まれて、「初めての選挙」がどんなものであったか知らない。知らないどころか関心が薄かったりします。だいたいどの選挙も投票率が低い。 ていうか率直に言って、今の選挙ってホントに選挙なのかと疑問に感じるときがあります。政策で議論することがない。それぞれが党派的な物言いを一方的に投げるだけで、議論を深めようとはしない。タレントや二世議員を立候補させて、知名度や人気を競う。チラシやSNSで対立候補や政党の悪口、デマや誹謗中傷を流布する。脱法スレスレの愉快犯のような候補者に注目が集まる。何か学校の社会科で習ったような、あるいは親世代がそれなりに大切にしていたような、「清き一票」の選挙っていうのとは違ってしまっている。新旧メディアを総動員したお祭り騒ぎ、バカ騒ぎです。で、これが「日本の民主主義の後進性(戦って勝ち取った民主主義じゃないからダメだ)」みたいなことかというと、アメリカの大統領選だって滅茶苦茶ですよね。民主主義とか選挙制度といった清く尊かったはずのものが、すっかり退廃して型崩れしてしまっている。 ブータンの「初めての選挙」は面白いんです。まず、本物の選挙に先立って「模擬選挙」という練習をやる。選挙管理委員の役人が村に来て、赤、青、黄の3色(それぞれが「経済発展」とか「伝統を守る」とか、3つの政党の主張を表す)を村人に選ばせる。戸籍は日本みたいにしっかりしてないから、生年月日を確認させて「有権者登録」をする。みんな別に今まで通り、国王が統治してくれればいいと思ってるから「模擬選挙」やっても盛り上がらないんですね。で、役人に「赤!赤!赤!」「青!青!青!」とシュプレヒコールしろと命じられる。敵を憎んでなじれと叱られる。のんびり平和にやってきた村が近代主義の啓蒙によって、「分断ごっこ」させられるんですね。この見よう見まねの「分断ごっこ」は笑った。 でも、村はティンレー派とロドゥ派という風に、支持する候補者によって分断し始めます。激しい対立は描かれないけれど、その気配が静かに立ち込める。映画はブータンの山あいの村に選挙、つまり政争が本当に必要か疑問を投げかけます。それまで村の暮らしに「争点」は特になかったんですよね。いや、本当はあったんだと思いますよ、ジェンダーギャップとか。だけど、誰も気づかず「争点」化してなかった。そこに「民主主義」と「選挙」が持ち込まれたんです。 選挙管理の役人は「学校で習った民主主義」を内面化した感じなんですよね。後進国のブータンに民主主義を根付かせなきゃいけないと思っている。「僕らが忘れてしまった何かがブータンにある」の呪文(?)を思い出してください。これはブータンを外から見た人が言ってることですよね。「外」というのはどこかっていうと、たぶん「西側」とか「近代社会」みたいなイメージです。映画『お坊さまと鉄砲』には本当に「近代社会が忘れてしまった何か」を探しにブータンを訪れるアメリカ人が登場するのですが、それは本編をご覧ください。 読者の皆さんは「幸せの国ブータン」っていうのを聞いたことがあると思います。中国とインドに挟まれ、ヒマラヤの高地に位置するブータンは、かつてGNPならぬGNH(国民総幸福量)の概念を提唱し、「世界一幸福な国」として知られるようになった経緯があります。ただそのときのブータン国民の幸福感っていうのは「雨露をしのげる家がある」「食べ物がある」みたいなことだったんですね。実に大らかな世界観です。情報がないから物欲もない。自足しているといえば自足している。人が不幸を感じる決め手は他と比べることですよね。『お坊さまと鉄砲』では村にはテレビが入り始めてるし、何より「初めての選挙」が導入される。社会意識が変わっていくタイミングなんです。 文:えのきどいちろう 1959年生まれ。秋田県出身。中央大学在学中の1980年に『宝島』にて商業誌デビュー。以降、各紙誌にコラムやエッセイを連載し、現在に至る。ラジオ、テレビでも活躍。 Twitter @ichiroenokido 『お坊さまと鉄砲』 12月13日(金)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館、シネ・リーブル池袋ほか全国順次ロードショー 配給:ザジフィルムズ、マクザム (c) 2023 Dangphu Dingphu: A 3 Pigs Production & Journey to the East Films Ltd. All rights reserved
えのきどいちろう