コロナ禍前後で学力に変化は見られたか?
教育格差の定義と概要
教育格差とは、出身家庭の社会経済的地位(SES:Socio-economic status)や出身地域といった子ども本人に変更できない初期条件(「生まれ」)によって、学力や学歴といった教育の結果に差がある傾向を意味する。SESは保護者(以下、親)の職業・学歴、世帯所得、家庭の蔵書数、その他の文化的所有物・行動などを含む社会的、経済的、文化的な特性を指す。 SESの代理指標として父親の最終学歴を用いて検証すると、戦後に育ったすべての世代において親子の教育達成に一定の関連が見られる。この傾向は父親の学歴以外の様々な特性を考慮しても確認できる。大学進学率の上昇を含む急激な社会の変化があった一方で、親の学歴を含む出身家庭のSESによって子の最終学歴に差がある傾向は戦後日本社会に一貫して存在してきたのである。世代によって多少の変動はあるが、近年だけの傾向ではないし、貧困層に限定された現象でもない。 戦後日本社会は建前として「生まれ」ではなく本人の能力と努力次第で学歴や職業的地位が決まることになっているが、出身家庭のSESや出身地域が学歴という「身分」に変換されることを通じて職業達成を左右している実態がある。 もっとも、あくまで傾向であるので例外を見つけることは難しくないが、不利な「生まれ」から「成功」した事例を何百と並べたところで、1学年100万人を超える社会全体を対象としたデータが示す「緩やかな身分社会」という傾向を否定することはできない。出身家庭のSESによる格差の程度は他の先進諸国と比べると平均的で、特に大きくも小さくもない。日本は「生まれ」によって人生の可能性が制限される「凡庸な教育格差社会」である。
コロナ禍前後の変化
教育格差の長期的趨勢、未就学から高校までの各教育段階における実態、国際比較、政策論などをまとめた拙著『教育格差』(ちくま新書)が刊行されたのは2019年7月だ。読者、書評、中央公論新社主催の新書大賞2020の3位受賞などのおかげで17刷、電子版と合わせて7万2000部となった。 売れ行きの後押しを受けて政治、行政、メディアと対話する機会が増え、「教育格差は社会の根本的な在り方を問う課題だ」という基礎的な理解の広がりを感じていた矢先、「全国一斉休校」があった。以降、メディアからの質問の大半は「過去の現象より、コロナ禍による影響」一色となった。 教育社会学者も実態を捉えるために動いた。苅谷剛彦教授(オックスフォード大学)の呼びかけで中村高康教授(東京大学)を中心とした私を含む研究チームが編成され、文部科学省の委託調査を複数時点で実施した。 中央教育審議会などでの発表をまとめると、パンデミックの影響は一様ではなく、社会経済的に困難を抱えている児童生徒、親、学校、自治体がより不利な状態に置かれたことがわかった。たとえば、コロナ禍で経済状態悪化を経験した子育て世帯は、両親非大卒層やシングルマザー家庭に大きく偏っていた。一方で、ホワイトカラー職に就く父親が多い両親大卒層からの経済状態悪化報告率は低かった。休校中の家庭での過ごし方についても親学歴による差が見られた。両親大卒家庭では子どもが学習を継続するように働きかけたりオンライン学習の準備を手助けしたりといった積極的な子育てを行う傾向があった。 これらの結果を踏まえて、「コロナ禍で学校教育が不安定化し家庭の役割が大きくなった結果、SESによる学力などの結果の格差が実際に拡大したのか」という基礎的な問いに回答するために二つの研究を行った。米国のように定期的に同じ個人と学校を追跡するパネルデータを収集している社会であれば、各SES層の児童生徒と学校の学力がどの程度変容したのかについて推計ができるのだが、日本には同じ分析を可能にするデータはない。そこで、全国の小学校6年生と中学校3年生を対象とする文科省「全国学力・学習状況調査」を用いて学校単位のパネルデータを自分で構築し、コロナ禍前からの変化の把握を試みた。 年内に刊行される研究書の拙稿の一部を表1にまとめた。学校SES層別に平均50・標準偏差10のいわゆる学力偏差値の学校平均を示している。各年度のテストの難易度が異なるので、国語と算数/数学の正答率の学校平均を各時点で偏差値化してある。学校の相対的な学力を出すために小規模校は除外されているが、全国の大半の学校を3時点で追跡できている。2019年はパンデミック前、20年は調査が中止されたのでデータはなく、21年はコロナ禍になってから約1年時点、22年は約2年後に実施された調査に基づく。 学校SESは児童生徒回答の家庭の蔵書数を学校平均化した上で層別に分類した粗い指標だが、それでもSESによる学校間学力格差を確認できる。19年時点で学校SES上下位それぞれ20%の学力偏差値の差は小学6年で11.3、中学3年は13.6だった。上下位10%で比較すると小学6年は15.0、中学3年で18.2である。調査対象には国私立校も含まれるが、小学校は約98%の児童が公立に通っているので、大半は公立校間のSES格差といえる。中学校はSESと学力が高い私立校の多くは調査非参加なので、実際のSES格差は表1の数値よりも大きいはずだ。このコロナ禍前の時点で存在したSESによる学校間学力格差は、小中学校の両学年で19年から21年にかけて拡大した。上下位10%の比較だと偏差値で小学6年は2.7、中学3年は2.3の拡大である。ただ、コロナ禍中である21年から22年については、小学6年は差が拡大したが、中学3年は同じ程度の差で平行推移している。小学4年と5年の2年間をパンデミックに曝され、22年に6年となった学年において最も影響が出ていると解釈できる。 拙稿では学力以外についても検討した。学習時間、ICT(情報通信技術)活用、文科省が推進する「主体的・対話的で深い学び」実践についても、学校SESによる格差がコロナ禍前と比べると拡大傾向にあった。ただ、学力を含む全指標のSES格差拡大の程度は、コロナ禍前時点で存在する格差と比べると概して相対的に小さい。