「超高齢社会の被災者支援」という能登半島地震が突き付けた難題
中長期の「復興」に取り組む医師が足りない
被災地の復興の重要課題の一つに、健康問題と中長期的に向き合うことが挙げられる。このためには、医師を確保しなければならない。浜通りの問題は、医師が不足していることだった。2020年末時点で、相双地区の人口10万人あたりの医師数は143人だ。全国平均(257人)の56%で、発展途上国並みだ。 この問題を解決するには、現地の医療機関で中長期的に勤務する医師が必要だ。DMATや日赤からの短期派遣では対応できない。医師を集める際に重要なことは、被災地で勤務する「成功モデル」を作ることだ。 東日本大震災発生当時、私は東京大学医科学研究所で特任教授として、研究室を運営していた。この研究室で学んだ東京大学医学部、医学系大学院の卒業生からは、前出の森田知宏医師以外に、坪倉正治、尾崎章彦、西川佳孝、藤岡将、齋藤宏章、山本佳奈医師らが常勤医として被災地で診療した。坪倉、尾崎、齋藤医師は、現在も浜通りで診療を継続している。 彼らの経験は学術的にも貴重だ。200報以上の論文を英語で発表し、坪倉、尾崎、西川、森田、齋藤、山本医師は、このような論文により東京大学などから博士号を取得した。 彼らの活動は世界から注目を集めているようで、2021年3月に米『サイエンス』誌が5ページに亘って特集し、編集部から私に「新たな公衆衛生のあり方で世界中が注目している」と連絡があった。昨年、坪倉医師は北大西洋条約機構(NATO)から招聘され、ルーマニアで講演しているし、坪倉・尾崎医師には米軍からも「定期的に情報交換したい」と連絡があった。 先輩の活躍は後進にとって刺激となる。東京大学医学部を卒業し、現在、鹿児島県で初期研修中の小坂真琴医師が、今春、福島での勤務を開始する。 浜通りが抱えたもう一つの問題が要介護者の増加だった。相馬市の場合、2011年に186人だった要介護者(要介護1)は、2014年には242人と1.3倍に増加している。ただ、増加の大部分は軽度の要介護者だった。子どもたちと同居していた高齢者が、子どもたちが避難あるいは移住したため、介護が必要となった。 相馬市では、このような高齢者を対象に、彼らが集団で生活する「相馬井戸端長屋」という復興住宅を提供した。長屋入居者の健康管理に関わっている前出の齋藤宏章医師(相馬中央病院)によると、長屋では個室に加え、共同風呂、共用の洗濯機が用意され、昼食宅配、保健所の看護師や齋藤医師による定期訪問、近隣の商業施設までバスでの定期的な送迎などの取り組みが行われているという。 設立から10年が経過し、昨年11月、齋藤医師も加わる研究チームは、その経過をスイスの『公衆衛生フロンティア(Frontiers in Public Health)』誌に発表した。この研究によると、「相馬井戸端長屋」入居者の入居時の平均年齢は76.2歳で、10名が要支援、12名が要介護認定を受けていた。65名のうちの30人が入居を継続し、21人が入居中に亡くなり、14人が長屋から退去していた。平均入居期間は約6年半で、6割に当たる39人が5年以上の入居を継続できていた。 相馬市では行政が中心となって、独居高齢者や高齢世帯の生活環境を整備し、それが一定の成功を収めた。スイスの学術誌が、この研究を掲載したのは、高齢化が進む欧州の専門家たちが日本での試行錯誤に関心があるからだ。日本の高齢者対策が世界の注目を集めているのが分かる。