雑居ビルの銭湯にも…“日本一のシャッター商店街” 復活への切り札は『廃墟ツアー』で逆手に取った町おこし
しかし、柳ケ瀬の繁栄を支えていた繊維産業の衰退とともに商店街の活気も失われ、1999年に岐阜近鉄百貨店、2002年には長崎屋が次々と閉店した。 そして、2024年7月には岐阜高島屋も47年の歴史に幕を下ろし、大型商業施設はすべて柳ケ瀬から姿を消したこともあり、客足はさらに遠のきつつある。
西柳ケ瀬の商店街のアーケードには、バブル期の面影を残すネオンが残されているが、テナントの減少に加え、電気代の高騰やコロナ禍の外出自粛も重なり、ここ数年はずっと消えたままだ。
■夜の歓楽街復活へ…切り札は“廃墟ツアー”
西柳ケ瀬に再びネオンの灯をともそうと、商店街の小澤さんら有志が立ち上がった。ディープな商店街であることをアピールしようと「奥柳ケ瀬」という新たなワードを生み出した。 小澤理事長: 「独特な商店街なので、ちょっと“奥柳(おくやな)”という名称を使ってですね、何かやらないかと。『それいいですね』ということで」
9月に行われたイベントは「奥柳ケ瀬夜市」と名付けられ、キッチンカーやご当地アイドルのステージなどに人だかりができていた。開催費用の一部はクラウドファンディングで募集し、目標の100万円を超える122万円が集まった。
「奥柳ケ瀬」の名をアピールしようと行われたのが、「日本一のシャッター商店街」を逆手にとった“廃墟ツアー”だ。
廃墟となったビルのシャッターを開け、スナックや銭湯があった跡を、懐中電灯の明かりを頼りに進んでいく。
狭い入口をくぐりぬけ、銭湯の裏側に潜入すると、大きなボイラーが残されたままだった。
「廃墟ツアー」は、岐阜のまちおこしを目指す会社「カンダまちおこし」の代表、田代達生さん(48)が企画した。西柳ケ瀬には懐かしい昭和の味わいを残す、雑居ビルや細い路地が多く残されていて、観光資源としての魅力があるという。 「カンダまちおこし」の代表 田代達生さん: 「この建物の裏側なんか見ていただくと、かなり朽ち始めていて、今見ておかないとこれは見納めかなという風景があるので、だからこそ今見ておきたい。記憶に焼き付けておきたいものじゃないかなと思って」