名古屋市長選の争点『名古屋城の木造復元』、入場禁止から7年経過も問題相次ぎ計画進まず...専門家「名古屋城は日本で唯一、“忠実に再現”できる城」
7人が立候補している名古屋市長選。争点の1つが名古屋城天守の「木造復元」です。河村前市長の公約でしたが、未だ実現しないままの計画。存続か中止か。名古屋のシンボルはどうなるのでしょうか。
入場禁止から7年目、観光客の反応は?
名古屋の街にそびえ立つ名古屋城。平日にも関わらず、多くの観光客が訪れていました。「すごくきれいですよね。今日晴れているから、金シャチがピカピカ光って。天気とあいまって良かったな」など感想が寄せられるなか、神奈川からはなんと早朝4時発で“名古屋城を見るために”、日帰り旅行に訪れた観光客の姿も。
しかし、観光客たちが直面したのが、「入場禁止」という規制。入ることができない名古屋城を前に、「書いてありましたね。『耐震改修工事』って。残念ですね、せっかくなかなか来れないので」、「残念やなって感じ。やっぱり姫路城は上まで上がったらすごくいいですもんね」など声が寄せられました。
木造復元することになった名古屋城天守。工事に向け入場禁止になってから、今年で7年目です。その影響は、名古屋城のすぐそばにある金シャチ横丁のお店にも。実物大の金シャチを見ることができる、義直ゾーン内にある土産店『鯱上々』。名古屋城天守の工事がなかなか進まないことに、もどかしい思いを抱えていました。
「城(の中)に入れないならと、ここに寄るかといったら素通りされる感じ」と話すのは、『鯱上々』の店長代理・田村謙治さん。「今の現状では、お客さんはたくさんいるので、(城の中に)入れるようにはしてほしい」と規制への心境を明かします。
建設当時の寸法を記した「昭和実測図」
名古屋城天守は、1945年の空襲で焼失し、残されたのは石垣のみ。再建を願う市民の声や国内外からの募金が後押しとなり、二度と燃えないよう鉄筋コンクリート造りで再建されました。しかし、コンクリートの劣化など耐震性の低さが問題に。江戸時代の姿の復元を目指し、木造で建て替えをすることに決定しました。
それを可能にするものが、「昭和実測図」。『名古屋城総合事務所』の朝日美砂子学芸員によると、「昭和実測図」とは、昭和7年頃、天守が燃える前に天守の細かい寸法を実際に測り、その測った寸法から起こした図面のこと。朝日さんによると、これほどの写真と実測図が残っているのは名古屋城だけだといいます。 また当時は、デジタルカメラもフィルムもなかった時代。図面について朝日さんは、「(昭和実測図)は、ガラス乾板というガラスの板に写真を焼き付けているんです。データ化された写真は、拡大すると不鮮明さやギザギザが目立ちますが、ガラス乾板の写真はその心配はないそうです」と話します。