独身寮跡で想う「社員は家族」「社会」知った学生寮 フジワラテクノアート・藤原恵子社長
「寮の社員は昼間はみんな会社へいっていますから、出勤前の6時ごろ起こしにきました。自転車にまだ乗れないときで、毎日通って『後ろを持って』と、補助してもらいました」 本社があった場所も、近い。秋晴れ。日差しが強く、歩くと汗ばんできたが、藤原さんは涼しげだ。岡山市の気候を何年も体験してきて、体が自然に調整しているのだろう。 藤原家は、6代続いて娘だけだった。祖父も父も夫の善也さんも婿入り養子で、社長を継いできた。2000年7月に水難事故で急死した夫の後を継ぎ、01年1月に主婦から5代目社長になったとき、「自分にはああいう家族的な雰囲気が合うというか、それしかない」と思う。だから、社員との「距離」は近く、約160人の顔と名前をみんな覚えている。 兵庫県西宮市の神戸女学院大学社会学科を出て、すぐに見合いをして秋に結婚したから、職場で仕事をした経験は1日もない。最初に社長として何ができるかを考えて、子育てを通して得た経験を社員たちのために活かす「働きやすい職場」づくりだ、と決めた。「家族のような会社」が生んだ『源流』が、流れ始めていく。 社長になったとき、女性社員の大半がベテランで、若い女性は1人だけだった。出産を迎えたら、産んだ後、絶対に会社へ呼び戻したい。強い思いから、充実した育休制度を導入した。時短就業も認め、いまは有給休暇も1時間単位で取得できる。介護や育児に、3日連続で取れる特別な休暇も設けた。 子育てや介護を経験すれば分かるが、1時間でも、発熱や痛みが出た子どもや親のそばへいきたいときがある。3日くらいは、そばにいたいときもある。採用した諸制度は、子育てを通して得た経験からの実践だ。 いま子育て世代の全社員が産休や育休を取り、その間も会社が職場の情報を送り、円滑に元の職場へ復帰できるように配慮する。そんな経営から、160人ほどの会社で、年間に10人以上へ出産祝いが贈られている。 ■夫の遺品のノート綴られた思いに長女とともに感謝 長女の加奈さんが、母を支えるために大手食品会社を辞めて入社し、3、4年前に父の遺品を整理していてみつけたノートに、会社の将来への思いが書いてあった。父と祖父は、93年3月に社名をフジワラテクノアートへ変えた。以来、加奈さんは「なぜ『アート』という言葉を入れたのか」と考えてきた。