<調査報道の可能性と限界>第3回 時の政権が崩壊も 調査報道の威力と歴史
社会を変えてきた調査報道の威力
リクルート疑惑報道が時の内閣の崩壊につながったように、調査報道の威力・破壊力には相当のものがあります。 考古学研究家による旧石器時代の遺跡・遺物発掘が捏造だったことを明るみに出した毎日新聞の調査報道(2000年)は、学校教科書の書き換えを迫る事態になりました。北海道新聞による北海道警察の裏金問題報道(2003~2004年)は、警察の組織的裏金作りを日本で初めて公式に認めさせ、警察の裏金が各地で発覚する契機になりました。 古い事例では、読売新聞の「黄色い血」キャンペーン(1964年)もあります。これは貧しい労働者などによる売血の実態を追った内容で、日本の献血体制の確立に大きな影響があったと言われています。 雑誌が担った調査報道もあります。最も有名なのは、月刊文藝春秋に発表された立花隆氏の「田中角栄研究 ~その金脈と人脈」(1974年)でしょう。当時、全盛を誇った田中首相の政治資金を余すところなく暴き、「金権政治」の実態をあぶりだしました。この立花レポートがきっかけになって、田中首相は権勢を失い、退陣につながっていきます。同レポートが発表された後、大メディアの一部政治記者たちは「そんな程度のことは知っていた」とうそぶいたと言われていますが、噂として「知っている」レベルと、丹念に事実を積み上げて「報じる」レベルにまで引き上げる作業は、雲泥の差があります。
海外の調査報道の事例
外国の調査報道事例では、映画「大統領の陰謀」にもなった米ワシントン・ポスト紙のウォーター・ゲート事件報道(1972年)が知られています。 当時いずれも20代だったカール・バーンスタイン、ボブ・ウッドワードの両記者は、ワシントンで起きた小さな建造物侵入事件に疑問を抱き、徹底取材を継続。やがて、選挙で再選を目指すニクソン大統領(当時)陣営による対立候補の組織的盗聴だったことが分かり、ニクソン氏は辞任に追い込まれました。 このウォーター・ゲート事件報道の影響は日本にも及び、先に紹介した山本博氏は「あのような報道を手がけたいと思った。発表に頼る報道ではなく、日本では当時ほとんどなかった調査報道を自分たちでやりたかった」と、のちに述懐しています。