どこから何度見ても美しい ランボルギーニ カウンタック デザイン物語
さて、ここから話はいきなり陳腐になるが、「カウンタック」と聞いて僕が思い出すのは、晴海のスーパーカーショーと、大阪の焼肉店と、織田無道である。晴海のスーパーカーショーは、当時のスーパーカーブームの中心的存在のイベントで、サンスターが企画し日本全国各地で行われていた企画である。サンスタートニックシャンプーか何かに応募券がついていて、それを集めて応募すると抽選で行けるというもの(だったはず)。 日本中の子どもたちが、ブーム全盛期のスーパーカーを見るたびに日々頭を泡立てていたわけだが、個人的にはスーパーカーよりも「コロナ」や「セドリック」が好きな変態小学生であった私は、心の中で一過性のスーパーカー盛り上がりを目のはじっこで見ながら『月刊自家用車』をクールに愛読する日々であった。 そんなさなか、いきなり大阪の焼肉店が「焼肉食べてカウンタックに乗ろう」という、なんとも奇想天外な企画をスーパーカーブーム真っただ中の時に始めた。大阪 豊中の焔喜楽(これで、「エンジョイ」と強引に読むのだという)が行ったもので、1万円だか2万円焼肉を食べると、大阪城をカウンタックで一周同乗試乗できるという商売繫盛な企画。さすが大阪でんがな、と思ったが、なんとこの「エンジョイ」、今も立派に毎日営業中で、なんとその頃からずっと「カウンタック」を所有しており、2023年の今もお店の入り口に「カウンタック」が飾ってあるのだという。豊中では「カウンタック」の焼き肉屋さんとして、知られているというから宣伝広告費の対費用効果は抜群なのであった。
意外と店主は根性の座った「カウンタック」ファンだったのだな、と思うと同時に、まさか自分が精魂込めてデザインした車が、焼肉店の客寄せパンダになっているとは知る由もないガンディーニがちょっと不憫ではある。 そんな「カウンタック」に惚れた僧侶の一人が織田無道であったが、飲酒や性欲を語り、水晶玉で霊視や除霊を生業にしていた自称霊能力者の織田無道が、テレビの出演料を貯金して(おそらく)購入したのが、「カウンタック」であった。 しかも彼が購入したのは世界でも3台と言われる、「ウォルターウルフ カウンタック」で、カナダの石油王「ウォルターウルフ」が作らせた3台のうちの一台を織田無道が購入し、所有していた。この「カウンタック」は、角川映画『蘇る金狼』の中で松田優作が演じる朝倉哲也がアフロヘアで運転した車そのもので、映画を見て感動した織田無道がどうしても欲しくなり、映画に出演した車そのものを購入したのであった。 当時の所有者は目黒通りにあった『オートロマン』で、当時オートロマンの社長であった三上氏が角川映画に撮影用に貸してあげたものだったが、三上氏に直談判した結果、織田無道が手に入れてから亡くなるまで彼の手元にずっとあったという。織田無道もカウンタックに魅入られた一人なのであった。 その後この「カウンタック」はちょっと朽ち果てていたといううわさもあるが、今はきれいになって横浜の某所にあるというのが、未確認情報である。 さてそんなカウンタックの最高速度は300kmと言われていたが、ライバルの「フェラーリBB」は302kmを豪語し、2km分速いというのが一般的に知られていた逸話であった。実際には「カウンタック」も「BB」も260kmぐらいが上限で、300kmなど無理も無理、というのが現実なのだというが、僕はこういう意地の張り合いみたいな、楽しい大風呂敷が大好きである。 エンツォ フェラーリとフェルッチョ ランボルギーニが、自分のナニの大きさを誇張しながら自慢しあっているようで、なんとも面白いし、こういう楽しい夢想をさせてくれるところがものすごくイタリア的でたまらない。(笑)
Frank B. Meyer
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