「無敵」の称号だった100年前 タルボ105 エアライン(1) 奇才ロシュによる最後のサルーン
奇才のロシュが手がけた最後のタルボ
コーチビルダーのヴァンデンプラ社製オープンボディを載せた3台のワークスマシンは、圧縮比が向上していたこと以外、量産仕様のままといって良かった。燃料タンクは、大容量のものが標準装備だった。 クルマ好きだった貴族、アール・ハウ氏は、アルファ・ロメオやブガッティと同列に、誇るべき英国車として扱ったほど。105が参戦した25戦中、リタイアは4回だけだった。 ルーツ兄弟が経営を引き継いだ頃、ロシュは独立懸架式サスペンションを備えた、新しいバックボーンシャシーの開発を進めていた。だが、量産には至らなかったようだ。 進化版のタルボ110は、1933年に登場。エンジンは3377ccへ拡大され、1936年から1937年まではタルボ3 1/2リッターの名で販売された。だが、ワイドレンジのトランスミッションや豪華装備で、身軽さが損なわれていた。リムジンも選ぶことができた。 他方、車高を落としパワーアップされた105 B1は、1934年にデビュー。ロシュが手がけた最後のタルボとして、マニアから高く評価されている。 この105 B1では、シャシーのサイドメンバーへ十字状に組んだパイプを追加し補強。半楕円リーフスプリングが前後に組まれ、冷却フィンの付いたアルミ製ドラムブレーキは大径化された。 トランスミッションは、ロシュ自らの設計による遠心クラッチと遊星ギアを備えた、プリセレクター・マニュアル。オートマティックの前進といえ、アイドリング時は自動的にクラッチが切れ、運転の負荷を減らした。
公道を走れない状態へ劣化していた1台
1935年には、サルーンの105 1B エアラインが発売される。荷室内には高品質な工具を搭載し、ジャッキも内蔵され、英国価格は625ポンド。ルーフは金属製のスライディング仕様という、上級モデルだった。 当時は、各部への定期的な注油が不可欠だったが、先進的な集中注油システムを採用。サスペンションやステアリングラックも、常にオイリーな状態が保たれた。 ボディを製造したのは、コーチビルダーのジェームスヤング社とヴァンデンプラ社。だが、1930年代の流線型が強く意識されたスタイリングを描き出したのは、ロシュ本人だった。大陸を縦断し、バカンスを謳歌するためのクルマとして。 105 B1は合計97台が作られているが、DLP 937のナンバーで登録されたシャシー番号4065のエアラインは、1936年12月にラインオフ。牛乳を低温殺菌する機械を開発した発明家、イノック氏へ納車された。 1938年に、経済学者のウィリアム・ジョン・エヴァンス氏が購入。第二次大戦後はイタリア人がオーナーになるが、1957年にグレートブリテン島へ戻ってきている。 1960年代には3名のオーナーを転々とし、どこかの時点で結婚式を祝うウェディングカーとしてホワイトへ塗装。1976年にコーチビルダーのジャック・キャッスル氏が発見した時点では、酷く傷んだ状態にあったようだ。 彼はボディフレームの交換など、ある程度のレストアを施した。それでも売却される34年後には、公道を走れない状態へ劣化していた。そのまま放置され、2017年にオークションへの出品が決まった。 この続きは、タルボ105 エアライン(2)にて。
マーティン・バックリー(執筆) トニー・ベイカー(撮影) 中嶋健治(翻訳)