スマートウォッチの“予言”?「シチズン100年の歴史」を知る人ぞ知る名建築で紐解く
千代田区九段エリア。日本武道館のある北の丸公園から坂を上がると、時が止まったかのような洋風建築が顔を見せる。 【全画像をみる】スマートウォッチの“予言”?「シチズン100年の歴史」を知る人ぞ知る名建築で紐解く 1927年竣工、現在はKUDAN HOUSEとして親しまれる登録有形文化財・旧山口萬吉邸だ。 竣工の3年前の1924年、懐中時計「16型」からブランドの歴史をスタートさせたのが、日本が誇る時計メーカー・シチズン時計。 100周年を記念して、世代を共にしてきた同所を会場に展覧会「THE ESSENCE OF TIME」を開催し、エポックメイキングな時計たちが一堂に会した。
昭和天皇も愛用した「国産初の懐中時計」
シチズン時計最初の製品誕生と旧山口萬吉邸の竣工した同時期の1923年には、東京を関東大震災が襲った。 震災後に建てられた旧山口萬吉邸は、鉄筋コンクリート・3階建て地下1階のスパニッシュ様式の洋館だ。 東京タワーや通天閣、明治生命館など日本の近代建築の構造設計を担い、耐震構造の父とも称される内藤多仲も設計に加わった。同氏が私邸を手がける例は珍しく、その頑丈なつくりは、東京大空襲も耐え抜いた。 シチズン時計は、震災の翌年にブランド第一号となる懐中時計を発表した。市場のほとんどを輸入品が占める中、前身の尚工舎(しょうこうしゃ)時計研究所は念願叶って国産品の開発に成功した。 懐中時計というだけでクラシカルな雰囲気を纏うが、さらに旧山口萬吉邸に置かれていると、重厚でいて繊細な歴史ある建物と共鳴するかのように魅力を増す。 100周年を記念した復刻モデルも、100台限定で2024年秋冬に発売予定だ。
市民に愛される時計ブランド
シチズン時計の「CITIZEN」は、東京市長を務め、関東大震災後の復興大臣を歴任した後藤新平によって、「永く広く市民に愛されるように」という想いを込められて命名された。 懐中時計16型の誕生後、1931年と1935年にはそれぞれ男性用・女性用の腕時計を発表。以降、“市民に愛される時計”ブランドとして、その裾野を広げていく。 東海道新幹線開通後の1966年、鉄道員の時計として開発されたのが、「CITIZEN ACE」だ。世界に誇る日本の時刻通りのダイヤを支えていたのは、時刻を正確に把握するための視認性が高い数字フォントと、それを中心とした設計だった。 実直径は36.6ミリメートルとコンパクトでありながら、正面から見ても細縁によって「小さくて見にくい」という印象は受けない。 写真では分かりづらいが、針は文字板に向かって湾曲した作りだ。これが、ベゼルの高さを抑えるように錯覚させ、結果的に数字の視認性が優先されるようになっている。 「読みやすさ」の観点では他にも、国産初の目の不自由な人向けの腕時計「CITIZEN SHINE」(1960)、子どものための教育用時計「KINDER TIME」(1968)、ユニバーサルデザインを取り入れた「MU」(2001)などを発表してきた。 数字のフォントから文字板のカラーリング、針の位置まで、そのデザインの意図を紐解いていくと、“市民に愛される時計”たる所以が分かる。