<球児のために>2020年センバツを前に マネジメント 野球漬けから脱却
常に何らかの声を出して盛り上げる。そんな見慣れた光景と一線を画すのが、中学硬式野球チーム「堺ビッグボーイズ」(堺BB、堺市西区)の練習だ。選手たちが発するのは単なる声ではなく、意思疎通のための「言葉」。1死一、三塁を想定した内野守備練習で「ランナーがスタートしたら言えよ」「(打球が)そっち行くよ」など野手陣がコンパクトに確認事項を伝え合うと、複雑な連係プレーの精度が上がった。 【動画】センバツ出場校、秋季大会熱闘の軌跡 堺BBは1984年設立。卒団生には米大リーグ・レイズの筒香嘉智選手(28)やプロ野球・西武の森友哉選手(24)がいる。阪長友仁監督(38)は新潟明訓で3年時に夏の甲子園に出場、立教大では主将を務めた。卒業後、中南米諸国を回り、ドミニカ共和国の「選手第一」の野球を知った。「選手たちときちんと意思疎通をして、迷いのない状態でプレーさせたい」と話す。 チームの特徴は、選手第一のマネジメントだ。かつてはスパルタ式のチームで、1期生でもある瀬野竜之介代表(49)が監督を務めていた99、2000年には全国大会を連覇した。卒団生たちはプロなど上の世界で活躍するだろうと思っていたが、その成長が「頭打ち」になる現実に直面した。 「何かがおかしい」。瀬野代表は悩んだ。中学日本代表のコーチとして渡米した時、別のコーチが米国の選手にアドバイスしようとしたところ、米国のコーチから猛然と止められた。「余計なことをするな。教えると、本人が考えなくなるだろう」 09年から運営方針を見直した。土日の練習は午後2時で終わり、野球漬けとならないようにしつつ、最大1時間の自主練習を設定した。指導は怒号や罵声を禁じて選手の観察に重点を移し、球数制限も設定した。「納得できない」とコーチ10人中9人がチームを去った。 「負けたら終わり」のトーナメント方式が出場選手の固定化や故障につながっていると考え、NPO法人を設立して運営面を強化し、14年、独自のリーグ戦を始めた。大会規定で球数制限は「3年生は1日最大80球」など細かく定めるなど、指針を明確にした。瀬野代表は「ルール化で指導者が『もう無理をする必要はないんだ』と解放された」と実感を込める。 現在の団員は3学年計90人、15年に設立した小学部も6学年計約100人。故障や暴力的な指導に悩んで移ってきた選手もいる。「勝ちは減ったが、たくさんの子どもたちが集まってくれている。野球が選ばれるスポーツになるよう、こうした選択肢が生まれてほしい」。瀬野代表の願いだ。【福田隆、写真も】=随時掲載