東日本大震災から3年、ダライ・ラマ法王14世が東北で語りかけたこと
ですから、日本というのもこの世界の全ての国々の一部であります。そして70億人の人間の中の、日本人は一部であるわけなんです。ですから、決して絶望してしまい、もう駄目だと諦めてしまうような理由はどこにも存在していません。その逆に、私たちが絶望感に満ちてしまい、他の人を信じることができず、不信感や懐疑感などにさいなまれてしまうと、その方は孤独感に陥ってしまうということになってしまいます。ですから、もっと良き面を見るということ。つまり、この地球上に住んでいる約70億人の人間たちが自分の兄弟姉妹なのだと、人間家族という1つの大きな家族の一員なのだということを考えるならば、決して孤独感に陥るというような必要はないわけなんです。さらに、私たち人間は社会生活を営みつつ生きていく類いの生きものであるわけです。そこで、たとえ悲劇が起きたとしても、その悲劇が起きた場所の地域の方々を、また別の人たちが来て助けてくれるということがあるわけです。そのようにして協力体制をしき、そして助け合いの精神を発揮し、他の人のことを心から思いやるという気持ちを忘れずに頑張っていくならば、このようなスピリットを、精神をますます高めていくならば、必ずやどこかに希望の綱を、絆というものを見いだすことができると思うわけです。ですから、そのようにして私たち自身も、チベット人難民の全ても、そのようにして現在まで私たちは頑張って生きてきたわけなんです。 そして、常に厭世的にならず、楽天的なものの見方をするということも非常に大切なことではないかと思います。そのような背景から、私たちチベット人の難民の状況というものも、大丈夫な状況に今はなっているということが言えるのではないでしょうか。ごくごく、このインドに難民として亡命してきた最初の時点におきましては、まるでジャングルのような場所を与えてもらって、そういったところにチベット人居住区を立ち上げたわけなんですけれども、非常に辺鄙で、最初から木を切り倒し、切り開いていかなければならないような土地でした。 そして、1960年代の最初のころには、チベットという涼しい高地から移ってきた私たちにとっては、そういった居住区の中で生きていく人々は本当に暑くてたまらないと。もうこれでは暑くて死んでしまうというような方々が本当にたくさんいたわけなんです。そこで、ここではとても生きていくことができない。なんとかして別の地域に、涼しい地域に移りたいというようなことをcomplain(不満)を出した方々もたくさんいました。そして扇風機のような設備がなんとしても欲しいとか、そういうことを考えたこともたくさんあったわけなんです。