京都の三条・四条界隈、賑やかな街なかにひっそりと存在する異界の入り口。
平安の昔から続く都だからこそのふしぎ譚が今でも根付いているのがここ京都。そんな痕跡を京都精華大学名誉教授の堤邦彦さんと辿ってみました。
【三条】瑞泉寺(ずいせんじ)
惨い最期を迎えた、豊臣秀次の菩提を弔う。
今は多くの飲食店が立ち並び、観光客で賑わう三条大橋。こちらは江戸時代も東海道五十三次の西の起点として知られ、鴨川にかかる橋の中でも抜群の知名度を誇った。 この橋のほど近くに位置する瑞泉寺は、非業の死を遂げた豊臣秀次の首を埋めた塚があった場所に建てられた、と伝えられている。
「豊臣秀吉の養子だった秀次は、二代関白となったものの悪逆の汚名と謀反の罪を着せられ、切腹させられました。そして、三条河原に移された首の前で、秀次の一族39人の公開処刑が行われた。その菩提を弔うため、江戸時代に瑞泉寺が建立されたのです」と、堤邦彦さん。
江戸時代後期には、上田秋成の怪談小説『雨月物語』にも、高野山で秀次の霊と遭遇した旅の親子が、三条大橋を通る際にこの塚を思い出し寺のほうに目をやる、という話が出てくるという。 喧騒の中に佇む境内で往時に思いを馳せるとひととき違った時空を旅するよう。そっと手を合わせ、ぜひ一度ご挨拶に参りたい。 ●京都市中京区木屋町通三条下ル石屋町114・1 拝観7時~17時(自由拝観) 京阪「三条」駅徒歩5分。
【膏薬図子】京都神田明神
平将門伝説はこの小さな路地から始まった……。 この辺りは不思議な一角なんです、と堤さん。四条通りと西洞院通りが交差する周辺は現在、ホテルや商業ビルが立ち並ぶ。そのエリアにさまざまな伝承の跡が点在しているという。まず訪れたのは、路地にぽつりと現れる鳥居。ここはあの平将門を祀る神社だ。
「この京都神田明神がある場所は、大通りから少し入った膏薬図子(こうやくのずし)と呼ばれる小路にあります。朝廷側の武士に討ち取られた平将門の首がこの地でさらされたという。 それを将門と同時代の僧、空也が供養のためにお堂を建てたことから『空也供養の道場』と呼ばれるようになり、『くうやくよう』が『こうやく』となったのが、この小路の名前の由来とされています」 建物の一角に馴染むよう、ひっそりと平将門を祀る神社が佇んでいるのも、この街ならではの風景かもしれない。 ●京都市下京区綾小路通西洞院東入新釜座町726 開扉9~17時(月曜除く) 阪急「烏丸」駅徒歩5分、市営地下鉄「四条」駅徒歩6分。