「映画界に転じて大成功した最初の金メダリスト」 “6代目ターザン”ワイズミュラーは「100年前のパリ五輪」に水泳選手として出場していた(小林信也)
「日本人は真面目」
ワイズミュラーは、どんな水泳選手だったのか。当時の映像を見ると、現代のクロールと随分違う。顔を水につけず、抜き手のような感じで顔を水面から出したまま泳ぐ。しかもワイズミュラーのかき手のピッチが恐ろしく速い。リズミカルで勢いがある。 来日時、日本選手への助言を求められ、ワイズミュラーは答えている。 〈ワイズミユーラー氏は「胸は自然的であるがクロールのやうな不自然的の水泳法は初歩から正しい練習が必要でそれには立派なコーチを要する、日本人は真面目に練習して居るから宜いコーチさへ得れば世界的の選手が出るであらう」と語つた〉(28年9月29日読売新聞) 不自然的な泳法という理解が興味深い。 その彼が慢性の脳の病気で入院中と報じられたのは、79年4月、74歳の時だ。 〈病院では時折、大声で叫んだり、映画のなかで演じたターザンを思い起こさせるような声を出しているという〉(79年4月15日読売新聞) 84年1月、メキシコ・アカプルコの自宅で亡くなった。79歳だった。
小林信也(こばやしのぶや) スポーツライター。1956年新潟県長岡市生まれ。高校まで野球部で投手。慶應大学法学部卒。大学ではフリスビーに熱中し、日本代表として世界選手権出場。ディスクゴルフ日本選手権優勝。「ナンバー」編集部等を経て独立。『高校野球が危ない!』『長嶋茂雄 永遠伝説』など著書多数。 「週刊新潮」2024年8月15・22日号 掲載
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