20年のキャリアに終止符を打った細貝萌。本田、長友、岡崎ら“86年世代”から得た刺激。10年前の偽らざる本音も吐露【独占インタビュー】
「代表から逃げてしまっていたんです」
そういった素晴らしい同期に囲まれ、ザックジャパン時代は充実した時間を過ごしていた細貝。だが、ご存じの通り、2014年ブラジルW杯は落選の憂き目に遭った。当時は遠藤保仁と長谷部誠が鉄板ボランチを形成。ロンドン五輪世代の山口蛍が急成長し、もう1枠は攻撃のギアを上げられる青山敏弘が滑り込む形になったからだ。 当時の細貝はドイツ・ブンデスリーガ1部でコンスタントに活躍。実績的には長谷部と肩を並べるほどだった。ゆえに、彼の落選は大きなサプライズという見方をされた。 「シンプルに自分の実力不足というところがあったし、ドイツで継続的に試合に出ていたこともあって、自分自身の代表における状況から目を背けてしまいがちでしたね。 やっぱりヤットさんと長谷部さんという強烈なコンビがいたし、どっちかにアクシデントがないと試合に出られない。わざわざドイツから帰国してワールドカップ予選に参戦しても、数分しかピッチに立てずにまたドイツに戻るというのが続いて、『自分はクラブから給料をもらっている選手。ここで頑張るんだ』という気持ちになって、代表から逃げてしまっていたんです(苦笑)。 代表が日本国民からどれだけ注目されている存在かは今になるとよく分かるし、あの時もそういう気持ちで取り組んでいたら、もっと良いパフォーマンスを出せたのかもしれない...。そんな後悔も少なからずあります」と、細貝は10年前の偽らざる本音を吐露する。 彼が乗り越えられなかった鉄板コンビの存在感は、今の森保ジャパンの遠藤航と守田英正のコンビと同等か、それ以上と言ってもいい。極めて高いハードルだったのは事実だ。 「2人は僕とストロングの異なる選手。それに、ザックさんのサッカーはアウクスブルクやヘルタ・ベルリンのサッカーとは違うので、自分自身、気を遣いながらプレーしなければいけなかった難しさもありました。 そうこうしているうちに蛍も伸びてきて、彼が輝いているのもよく理解できた。トシ君も北京五輪でコンビを組んだことがある選手ですし、やっぱり僕とは違うタイプ。最終的に彼らがチョイスされたということなんです。 正直、ダメージはありましたし、落選後には発熱したほどショックも大きかった。周りにも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。でも、それも僕の人生ですね」 苦しかった過去も含めて、彼のサッカーキャリアは偉大だった。それだけは改めて強調しておきたい点である。 ※第1回終了(全3回) 取材・文●元川悦子(フリーライター)