「北斗の覇王」西良典の激闘。「チャンピオンになった直後、便所でバターンと倒れたんです」
「実は初めて北斗旗のチャンピオンになった直後、便所でバターンと倒れたんですよ」 倒れながらも、幸い意識はハッキリしていた。西は「アッ、来たな」と直感した。 「僕は柔道出身でダメージには強いほうだと思っていたけど、スーパーセーフで受けるダメージはわからないうちに蓄積していくんだなと思いました」 その後も西は北斗旗に出場し続け、84年10月21日には無差別級で2年連続優勝する。86年5月25日には前年度に続いて階級制の北斗旗体力別・無差別級も制し″北斗の覇王″と呼ばれるようになった。「体力別」とは、身長+体重を「体力指数」として算出し階級分けした大道塾独自の大会である このとき西は三十路に突入しており、大道塾では西より9歳若い〝ヒットマン〟長田賢一が台頭していた。だからといって西が現役生活の幕引きを図るわけではなかった。87年、母親が待つ長崎に戻り空手格斗術慧舟会(のちの和術慧舟會)を設立すると、西はプロ格闘技界から再び声がかかるようになった。 (つづく) 文/布施鋼治 写真提供/ドラゴンメディア