水に浮かべば有罪! 45キロ以下なら魔女! 中世にはびこった魔女を見分ける理不尽な判定法
針を刺しても痛みがなければ魔女! 「魔女のしるし」検査
針による検査という方法も、魔女を見分けるためマニュアル化されていた。主に被告が収監された後のケースが多く、尋問の手引き書は、まことしやかに針による検査方法や、悪魔との契約の証拠のひとつとして「魔女のしるし」について記載している。とくに黒子、あざ、天然痘の痕があれば、悪魔との契約の証拠とされることが多かった。 針による検査は、ドイツ、フランス、ベルギー、イギリス、スペイン各地で実施され、ふつう刑吏や拷問吏がこれを行った。ただし判断に苦しむ事例があり、都市部だけでなく地方でも疑問視する裁判官がいたが、外科医が実施した場合、信憑性があるものとされた。 針を刺しても痛みや出血がなければ、魔女の嫌疑がかかった。実際のところ、人間の体には痛点とそうでないところがあり、かならずしも同様な痛みを感じるわけではなかった。しかし当時はその痛みの差が問題にされた。さらに検査に使用された針は、資料として残っているが、仕掛け細工が施され、押すと針がクッションによって後退する構造のものもあった。ここからも意図的に魔女に仕立て上げようとしたことがわかる。 たとえば1672年に、ドイツのダルムシュタット近郊のブルクハルツフェルゼンでエルゼ・シュミットという女性が悪魔と通じた魔女として逮捕された。かの女にはブランデーやザウアークラウト(塩漬けキャベツ)を用いて、男女を殺したという嫌疑がかけられた。その記録によると、「右肩下に悪魔のしるしを発見し、2本の針で突き刺しても血が出ず、痛みも感じなかった」とあり、それが魔女の証拠とされている。 ドイツのライン河畔のラインバッハで、先述の悪魔祓いを受けた裕福な女織物商が、続いて針の検査を受けている様子を描いた版画を見てみよう。 机の上には検査針が多数置いてあり、検査人がかの女に針を刺している。被告は十字架とロザリオを手にもち、フランチェスコ会の聖職者が立ち会っていることから、針による検査も宗教的な一種の儀式であったことがわかる。この図版は、キリスト教会が魔女狩りに深くかかわっていたことを物語っている。 さらに向こう側の部屋では、女性を裸にして「魔女のしるし」を調べている光景がみえる。事実、尋問のはじめに衣服検査をし、頭髪や体毛を剃るというマニュアルがあった。とくに頭髪には魔力が宿り、悪魔が魔女のそれを利用して、災害を引き起こすと考えられていたからである。 魔女研究者J・リープによると、1629年に魔女の嫌疑をかけられたエリーザベト・マーデリンが頭髪を剃られ、アルコールを頭にふりかけられて点火されたと記載されている。また体毛を剃るのは、拷問に対するお守りを陰部に隠すのを防ぐためでもあった。 なおこの慣習について、ドイツのイエズス会士で魔女狩りの告発者、F・v・シュペー(1591-1635)は、『裁判官への警告』(1631)でこういっている。 「多くの地で、刑吏がそれぞれの牢獄で服を脱がせて、恥知らずにも熱心にそのようなしるしの探索をおこなっている。かの女に接近すればするほど、確実にしるしを容易く発見できるということだ。多くの裁判官もそれに執拗にこだわっているので、しるしのことを俎上にのせることができなかったり、また試すこともできなかったりすれば、腹を立てる始末である。…… わたし自身は一度もそんなしるしを見たことがなかったし、見たことがないものは信ずることもできない。ただ日ごろ目にしているのは、人間のいかさまが果てしないもので、大の大人すらもたびたび恥ずかしいほど騙されやすいということだ」。 たしかに多くの女性はその恥辱を想像しただけでも、身に覚えのない罪状のすべてを白状するほどであった。「魔女のしるし」による魔女探索は、ドイツでも盛んに行われ、バイエルンでは16世紀の終わりごろ、G・アプリールという刑吏がその名人という触れ込みで、魔女を発見するたびに報酬をもらっていた。