水に浮かべば有罪! 45キロ以下なら魔女! 中世にはびこった魔女を見分ける理不尽な判定法
45キロ以下なら魔女! ネーデルラントの「魔女の秤」
うわさを流されたり嫌疑をかけられたりした者は、逮捕や拷問から逃れるために、現代からすれば奇妙とも思える「魔女の秤」にもすがりついた。オランダで復元された「魔女の秤」から、その歴史を知ることができる。 16世紀後半までのオランダは、まだネーデルラントの北部地域に属しており、神聖ローマ帝国の一部であった。皇帝カール5世(在位1519-56)は、ネーデルラントの都市アウデワーテル当局に、「魔女の秤」の認可を与えた。1547年3月2日のことである。皇帝は「カロリーナ法」を制定し、近代法の確立に貢献したことでも有名であるが、「魔女の秤」が認可されたのは、地方の慣習法も容認しようとした方針があったからだ。 では、「魔女の秤」とはどのような装置であったのか。下に17世紀のアウデワーテル市における「魔女の秤」の測定状況を描いた絵を載せたが、それでわかるように、片方の秤に女性が乗り、もう片方に重りを載せ、親方が測定して一定の体重、すなわち99ポンド(ほぼ45キロ)以下であれば魔女、それ以上であれば魔女ではないという証明になった。魔女は空を飛ぶために軽いと信じられていたからであるが、それにしても当時でも、45キロという体重は微妙な数字であったといえよう。 市当局はそのお墨付きの証明書を発行した。これは買収されることがないものとされ、中部ヨーロッパにおいて信用を獲得した。ヨーロッパ各地に魔女狩りが蔓延した結果、うわさを聞きつけた被疑者たちは、秤によって無実を証明してもらおうと、オランダ国内というよりは、むしろ遠方の神聖ローマ帝国内(たとえばケルン、ミュンスター、パーダーボルン)から多数殺到し、当局の財政は潤った。事実、「魔女の秤」によってうわさを打ち消し、救済されたケースもかなり報告されている。 たとえば1648年に、マリア・コーニングスという26歳の女性がミュンスターから当地へやってきて、秤の検査を受けた。最初に計量志願者は、当市の助産師(女性の場合)、あるいは理髪師(男性の場合)のもとへ行き、下着のなかに重りを隠していないかどうか、身体検査を受けねばならない。次に宣誓した「秤の親方」が、市の書記と2人の監視員の眼前で計量する。かの女の場合、所定の重量であったので証明書を発行してもらっている。 絵に描かれているのは、秤に分銅を積んでいる親方と反対側に乗っている計量志願者である。左側に市当局の書記、右側に2人の監視員がおり、後ろの更衣室の前後に、順番待ちをする女性たちがみえる。