【冬休みの墳活(1)】吉備最古級の古墳群から見る時代の変化
皆さんは冬休みどのように過ごしましたか?今回は『冬休みの歴史研究』と題して、今まで登場してくれた歴史人キッズが自分の好きな分野の歴史を自由に調査し、発表してくれます!歴史好きのみんなはどんなことに注目しているのかな?歴史を調査してどんな想いをもったのかな? まず発表してくれるのは、古墳大好きキッズ板東郁仁くんです!どんな発見をしてきたのかな・・・? ≪冬休みの墳活(1):吉備最古級の古墳群から見る時代の変化≫ 古墳は権力者の墓であり、古墳時代に多くの古墳が築かれた。有名な大阪府の大山古墳もその1基である。吉備(現在の岡山県周辺の地域)では古墳築造の最盛期に造山古墳などの巨大古墳が築かれた。古墳の起源は、弥生時代後期に造られ始めた弥生墳丘墓まで遡る。岡山県倉敷市に全国最大の墳丘墓である楯築遺跡がある。弥生時代からの権力が引き継がれ、古墳時代に古墳が発展していった。 岡山市北区の岡山大学津島キャンパスなどがある半田山周辺では、県内最古級の古墳から古墳時代前期に築かれた古墳を見学することができ、築造の移り変わりを見ることができる。 半田山の南西の尾根に「七つぐろ古墳群」は築かれている。山の麓にある住宅地から雑木林に覆われた山の斜面をよじ登ると、名前の通り7基の古墳が並ぶ尾根に辿り着く。この古墳群は3~4世紀頃に築かれた古い古墳群なので、墳丘が低くて分かりにくい。尾根を歩いていると、ところどころ盛り上がっていて、これが古墳である。円墳・方墳・前方後方墳の3種類の古墳を見ることができる。墳頂がへこんでいる古墳がいくつもあり、これは戦争に関連する遺構と伝えられている。被葬者を想って築かれた古墳が、後世になって戦争に利用されたと思うと悲しくなる。 津島キャンパスから半田山の急な山道を登ると、中央部の尾根上にある都月坂古墳群に辿り着く。この古墳群は4世紀初めに築かれ、七つぐろ古墳群より少し新しいが、都月坂古墳群も墳丘が低くて分かりにくい。都月坂古墳群で最大の都月坂1号墳は前方後方墳で、「特殊器台形埴輪」が出土した。岡山で生み出された祭祀のための土器「特殊器台」が、円筒埴輪や朝顔形埴輪へと変化する過程にある土器で、この古墳群の名前から「都月型円筒埴輪」とも呼ばれる。この特殊器台型埴輪は、卑弥呼の墓と言われる奈良県桜井市の箸墓古墳からも出土している。当時の吉備の勢力がとても強く、影響力もあったことを物語っている。 岡山県には都月坂古墳群が築かれたときとほぼ同時期に、様々な地域で古墳が築かれていた。岡山市東区にある浦間茶臼山古墳は、箸墓古墳の1/2の相似墳と言われており、吉備と畿内の関係をうかがえる。 半田山の麓の岡山大学津島キャンパス周辺には、大切に守られてきた古墳と、削平されて失われた古墳がある。 神宮寺山古墳は全長150mの前方後円墳で、岡山県第5位の大きさの古墳である。後円部には式内社の天計神社が建ち、拝殿のそばに竪穴式石室の石材が露出している。この古墳からは鉄製品が大量に出土し、神宮寺山古墳の被葬者がとても強い勢力をもっていたことが分かる。 保存された神宮寺山古墳と真逆の運命を辿った2基の前方後円墳も訪れた。お塚様古墳と塚前古墳だ。どちらも宅地開発で削平された。お塚様古墳は、石室の石材を使った石碑だけが残っている。古墳を削平して建てられた住宅は老朽化で立ち入り禁止になった。1500年間守られてきた古墳を削平して建てた公営住宅が、数十年で老朽化して誰も住んでいない現実に、なんともいえない、やりきれない気持ちになった。お塚様古墳の近くにあった塚前古墳は、古い写真から岡山大学が2023年に再発見した前方後円墳で、後円部を巡るように造られた道路が住宅地を囲っている以外に、古墳時代をうかがえる痕跡はない。 古墳は、築造されてから現在まで様々な運命を辿ったが、破壊されたり改変されたりしたこともまた、古墳や地域の歴史といえる。このような歴史を知ることは、古墳を保存する意味を考え直す貴重な機会になるかもしれない。
板東郁仁