「祈りの道」「癒やしの森」……長野県戸隠の魅力を伝えるベテランガイドさん
【この人に聞きました】戸隠観光協会ガイド 吉本照久さん
詩人の谷川俊太郎さんは長野県北部、戸隠(とがくし)連峰の山々を愛したという。天岩戸が地上に落ちたと伝わる戸隠山のふもと、茅葺き屋根の宿坊が軒を並べ、巨大な三本杉がそびえる戸隠神社・中社の里にたたずむ山小屋風の喫茶店「ランプ」には、直筆の優しい詩が飾られていた。 きょうここでであうかもしれない ひとりのひと きょうここにいる ことのふしぎ 地元ガイドの吉本照久さん(68)がこの地に移住し、ピッケルの仏語「ピオレ」と名付けたペンションをオープンしたのは40年前のことだ。高校時代からSLを追い、山に登るようになった。国鉄に就職したが、人間関係に疲れ、10年で退職。「これからどうしよう」と悩んでいた時、2歳年上の妻、紀志子さんが「山が好きなら、ペンションはどう」と言ってくれた。伊豆や熱海の物件を見て回ったが、手が届かない。そんな時に出会ったのが、戸隠の森だった。「派手な場所は似合わない」という妻のひと言に背中を押されたのだという。穏やかに移りゆく自然とともに生きよう。そう思えてきた。
順風満帆だったわけではない。2人目の子供が生まれ、バイトで生活を支えたこともある。経営が安定した頃、異変が起きた。紀志子さんに神経系の難病が発症したのだ。全身が動かなくなり、介護に追われながら、ピオレを切り盛りする日々。「ごめんね」と妻がつぶやいた時、「ごめんねは、いらないよ」と答えたことがある。それは本心だ。8年前に他界した彼女には感謝しかない。 戸隠の遅い春。雪が解ければヤマザクラが咲き、水芭蕉の群生が湿原を彩る。夏には蕎麦の花が高原を白く染め、秋には鏡池が紅葉を映し出す。癒やしの森の魅力を知ってほしい。ペンションのおやじとして、ガイドとして、これからも、ゆっくり前に進んでいこうと思う。それが妻の願いだったから。 きょうここにいることのふしぎ――詩人の言葉が心に染みわたる。 文・三沢明彦 ●黒姫山、飯縄(いいづな)山、火打山、妙高山……長野県と新潟県の境、妙高戸隠連山国立公園は個性的な山々が一望でき、「一目五山」といわれている。戸隠山は上級者向けだが、山岳救助隊隊長を務める吉本さんと一緒なら安心だ。吉本さんと行く奥社、九頭龍社、中社、宝光社、火之御子社の戸隠神社五社巡りなどのコースは、ベルトラの「日本を紐とく旅」で。 ※「旅行読売」2024年5月号より