深谷駅になぜ急行が停車したのか? 国鉄への圧力が生んだ“我田引鉄”の実態、憎めない昭和の利権政治家「荒舩清十郎」をご存じか
急行消滅後の深谷駅の今
現代の視点から見ると、荒舩はむちゃな人物に思えるが、地元では一定の人気があった。彼が大臣に就任した際にはパレードが開催され、国道17号線の深谷市区間は 「荒船通り」 と名付けられ、熊谷駅などでは垂れ幕が飾られるほどだった。辞任時には、選挙区の住民のなかで 「これくらいで辞任するべきではない」 という意見が多数を占めていた。地元や支持者に対して利益誘導を図った点では、彼は有能な政治家だったといえる。そんな荒舩がこの世を去ったのは、1980(昭和55)年11月のことだった。 現在、深谷駅には急行はなくなったが、特急や特快、快速が停車するようになっている。1996(平成8)年に新築された駅舎は東京駅を模しており、荒舩の業績を示すものはもはや存在しない。 ちなみに、1970年に第12回日本レコード大賞新人賞を受賞した野村真樹の『一度だけなら』は、荒舩の「一つくらいオレのいうことを聞いてくれてもいいじゃないか」という発言にインスピレーションを受けて、作詞された楽曲である。
昼間たかし(ルポライター)