<私の恩人>武井壮、嫌なヤツだった頃…「いきものがかり」と奇跡的な出会い
陸上・十種競技の元日本王者の実績を活かし、“百獣の王”としてオンリーワンの道を突っ走る武井壮さん(41)。5月からはTOKYO MXでの冠番組「武井壮しらべ 誰もやらなきゃオレがやる!!」(金曜・後11時30分)もスタートし、さらに活躍の場を広げています。しかし、意外にも、現在のポップなキャラクターは、先の見えない暗闇の日々から生まれたものでした。今の武井壮へと導く光明となったのが、人気グループ「いきものがかり」との奇跡的な出会いだったといいます。 若い頃の自分は、本当に嫌なヤツでした。今から思うと、ホント魅力がないし、皆さんに見ていただくような顔もしていなかった。それが最も顕著だったのは、31、32歳の頃でした。大学で陸上競技に打ち込み、その後、プロゴルフの世界を目指してアメリカにゴルフ留学したんです。日本に戻ってきたのが28、29歳。ただ、ゴルファーとしてもうまくいかず、そこから台湾プロ野球のコーチとして台湾に行ったり、また日本に戻ってきてアスリートを指導したり…そんな時期だったんですけど、ホント、正直な話、そういう仕事はやりたくなかったんです。お仕事をいただいているのに、ひどいもの言いなんですけど…。 ゴルフに未練があったし、もっと大きなところで言うと、アスリートとしての我(が)の強さなんでしょうね。自分が教えた選手ではなく、自分自身が人に認められたい、評価されたい。しかし、それがままならない現実がある。でも、日銭を稼がないと、生きていけない。思い浮かぶのは「なぜ自分を認めてくれないんだ。なぜ誰も俺を支えてくれないんだ。こんなに頑張ってるのに」というすねた考えばかり。すごく雑な毎日を過ごしていました。 これを言うと「大丈夫か…?」と思われるかもしれませんが(笑)、その頃、本気でイメージしていたのが、アフリカに行くこと。そして、マウンテンゴリラの群れでボスになって暮らすことを真剣に考えていたんです。それくらい、人間の世界に嫌気がさしていたし、自暴自棄にもなっていました。そんな真っ只中のある日、神奈川県で仕事があったんです。ゴルフ留学していた経験を活かして、ゴルフクラブを輸入販売するような仕事の話だったんですが、やっぱり、本当の気持ちはささくれ立ってたんですよね。そこでも、仕事先の人とモメにモメた。とことん落ち込んだまま、トボトボと駅に向かっていたんです。すると、駅前で、路上ライブをしている人たちがいる。こちらは精神的にもどん底ですし「あんな大きな声で歌って、恥ずかしくないのか。迷惑な話だ…」と腹立たしく思ってたんですが、何となく聞いていたら、いつの間にか、ひきこまれている自分に気づいたんです。