「高校時代に今の形が確立された」“稀代のドリブラー古川陽介”誕生のルーツ「何も考えずに自然に身体が動く時がある」
「一番成長できたのはマインドの部分」
攻守の重要局面となる「バイタルエリア」で輝く選手たちのサッカー観に迫る連載インタビューシリーズ「バイタルエリアの仕事人」。第34回は、ジュビロ磐田のMF古川陽介だ。 【動画】古川のドリブルテクニック講座 前編ではプロ2年目のシーズンや理想の選手像などについて訊いた。後編となる本稿ではまず、いかにして“稀代のドリブラー古川陽介”は誕生したのか。そのルーツに迫った。 ――◆――◆―― 小学生時代のクラブチームは、いわゆる“ドリブルチーム”と言われるようなところで、ボールを持つとみんながドリブルを始めて団子サッカーになる。なかなか試合には勝てませんでしたが、そこでドリブルを教わり、自分のリズムの取り方や駆け引きが生まれて武器になりました。 中学時代はレベルが高い選手が集まるところで日々やりたいと思い、京都サンガF.C.の下部組織に入りました。そこで本格的なサッカーを教わりましたが、自分の持っているものは上手く出せていなかったですね。でも壁にぶち当たったあの時代があって良かったとは思っています。 高校を選ぶ時には何校か選択肢はあったんですけど、ここならサッカー以外のところでも真剣に見てもらえて、人としても成長できるなと練習会に行った時に感じた静岡学園を選びました。プレースタイルも自分に合っていたので、必ずやれるなという自信はありました。 トレーニングは個人技に特化したものがメインで、ドリブルやリフティングなどの基礎練習に加えて、対人の練習も多かったです。 一番成長できたのはマインドの部分で、常に発破を掛けられて競争の中でやっていました。スタメンが固定されていなくて、1日の練習で変わってしまう場合もある。そこでメンタル的に変われて、ドリブルにも磨きがかかり今の自分の形が確立されたと思っています。 これは高校時代に身につけた感覚なんですけど、ドリブルで相手をかわす時に、何も考えずに自然と身体が動く時があるんです。3年生で出場した高校サッカー選手権の宮崎日大戦(8-0)の(左サイドからドリブルで独走して相手3人を抜いた)ゴールはそんな感じでした。 最初にサイドバックからパスを受けた時に、出しどころがなくてボールをキープしていたんですけど、上手く相手の重心の逆を取れたので、ドリブルに切り替えました。あのようなスペースに入って突破していくのは得意で、上手くボックス内に侵入できました。最後のキックフェイントからの左足のシュートも、すべてイメージ通りでした。 ボールタッチが上手くなるには、嫌になるほど練習するしかないです。自分の感覚が研ぎ澄まされるまでいろんな人と1対1の勝負をしたり、遊びの中で生まれるものもあると思います。 自分の場合は、幼少期から周りに上手い選手たちがいっぱいいたので、そういう人たちのドリブルの仕方を真似しながらやっていました。フィジカル能力は低かったので、いかにスピードを使わずに抜けるかを考えていましたね。