「道長をも恐れない」存在となる彰子。『源氏物語』によるプレッシャーをはねのけ、男子を2人出産後に24歳で独り身に…<道長の手駒>から解放されるまで
大石静さんが脚本を手掛け、『源氏物語』の作者・紫式部(演:吉高由里子さん)の生涯を描くNHK大河ドラマ『光る君へ』(総合、日曜午後8時ほか)。ドラマの放映をきっかけとして、平安時代にあらためて注目が集まっています。そこで今回は一条天皇が亡くなるまでの彰子について、新刊『女たちの平安後期』をもとに、日本史学者の榎村寛之さんに解説をしてもらいました。 12歳の入内から、70年近くも宮廷の中枢に座った彰子。定子とは一度も顔を合わせたことがない?ライバル「3人の女御」とは?『光る君へ』で描かれなかった<道長の作戦>について * * * * * * * ◆『源氏物語』「若菜(上)」 〈長徳の変〉で定子中宮の権威が大きく削がれた後、一条天皇の後継者を誰が産むのかについてはかなりの舞台裏の駆け引きがあったようで、それは多感な10代の彰子にも大きく関係していた。 中宮は天皇と同等の扱いだが、女御は位階を受ける、いわば臣下に過ぎず、彰子の地位の高さには圧倒的なものがあったが、今のところの切り札は養育している敦康親王しかいない、その不安定な境遇の中で彰子はどのような思いだったのか。 もとより彼女の心情を記した記録はないので、10代前半のその思いなどは知る由もないのだが、一つだけ、周囲の期待をうかがわせるエピソードではないかなと思うものがある。 それは『源氏物語』「若菜(上)」である。 この話の中では、一つ前の「藤裏葉」で後宮に入った源氏の娘、明石の姫君が女御となり、皇子(東宮)を出産する。 このとき彼女は13歳の設定で、源氏の女君の中でも飛び抜けて若い母親になっている。
◆彰子に課せられた責任 夫である帝(光源氏の異母兄の朱雀院の皇子)の年はわからないが、この内容が一条天皇へのアピールだとすれば、彰子がまだ幼くても、成長を待つ必要はないと急かしているようにも取れる。 国文学でよくいわれるように、彰子のサロンで一条天皇が『源氏物語』を読んだとすれば、そして『源氏物語』の中でも見られたように、女房が読み聞かせていたとするならば、さらにいろいろなことが考えられる。 もしも「若菜(上)」がこのころに完成していたならば、それを読んでいた彰子は、自らに課せられた責任の重さに強いプレッシャーを感じていたのではないか。 そしてこうした状況は寛弘5年(1008)、敦成親王(のちの後一条天皇)の誕生まで続くことになる。 「若菜(上)」を彰子と一条天皇がいつ読んだのかは明らかではない。
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