「犠牲者の名誉を回復したい」――精神医療の近代化と「私宅監置」
原さんは2011年に「隔離の現在(いま)~精神障害者とともに生きるには」(琉球放送)という番組を制作した。統合失調症で17年間の入院生活を送った男性の、退院後の姿を追ったドキュメンタリーだ。 精神障害者の長期入院(社会的入院)について調べる過程で、精神科医の吉川(きっかわ)武彦さん(故人)に会いに行った。そこで、私宅監置されている人たちの姿を写した一群の写真を見る。1964年に米軍統治下の沖縄にはじめて派遣された精神科医の岡庭武さんが撮影したもので、それを吉川さんが預かっていた。
「すごい写真があるなと思いました。心を揺さぶられたし、どう向き合っていいのか、正直わからなかったです。吉川先生は『こんなもの外に出せるわけない』とおっしゃったんですから」 原さんは、顔にぼかしを入れて、番組の中で紹介した。 「吉川さんが(プライバシーがあるから)出すならぼかしてねと言ったので。そのときは疑いませんでしたけど、これでいいんだろうか、このままでいいんだろうかというもやもやしたものは残りました」
5年後、沖福連の高橋年男事務局長(68)から、「沖縄の私宅監置の記録を残したいのだが、吉川先生の写真を持っていないか」と電話がかかってきた。吉川さんは前年に亡くなっていた。 やはりこれは、自分が向き合うべきテーマなのだ──原さんは取材を開始した。岡庭さんが残した名前とメモを手がかりに、当事者やその家族、親戚に会うため、沖縄じゅうを何年もかけて訪ね歩いた。 当事者のほとんどは高齢であるか亡くなっており、遺族を訪ねても門前払いされることが多かった。原さんがやろうとしていたことは、何十年も前の家族の秘密を暴くことに等しかったからだ。 それでも、治安を守るためなら犠牲やむなしとした当時の考え方を忘却してはいけないという信念が、原さんを突き動かした。
原さんは「告発するために映画をつくったのではない」と言う。 「遺族の批判は覚悟の上でした。だけど僕は、死者の声が聞きたいんです。そこに答えがあると思っているから。だって、みんな出たいんですよ。小屋を壊して外に出ようとしたとか、穴を掘って出ていったという証言をいくつも聞きました。この人たちは恥ずかしいことをしていたわけじゃない。恥ずかしいことをしていたのは社会のほうで、顔や名前を出すことは犠牲者の名誉を回復することなんです。だけど社会は、その犠牲を、仕方がなかったと片付けて、見えないようにしてしまう。僕はある意味で、社会のありように無理やりあらがっているのかもしれません」