「零戦でもっとも戦った搭乗員」が戦後、自分の生活を犠牲にしてでも続けた「慰霊行脚」
角田の最期
角田が倒れたという知らせをご家族から受け取ったのは、平成24年(2012)秋のこと。脳梗塞の再発らしかった。平成25年(2013)2月14日、歿。享年94。 ふつう、この年代になると同世代の友人がほとんどいなくなっているので、葬送の式は寂しいものになりがちである。だが、かすみがうら市の斎場で執り行われた角田の通夜、告別式には、交通不便な場所であるにもかかわらず、親族はもとよりかつての戦友、遺族、著書や慰霊祭を通じて出会った人たち、角田を取材したことのあるメディアのスタッフなど、斎場いっぱいの人々が参列し、別れを惜しんだ。 大戦中、誰よりも長く、誰よりも勇敢に戦った角田は、戦後はいっさいの我欲を捨てて、慰霊と巡拝に後半生を捧げた。何ごとも自分のことは二の次で、人を思いやる真心のこもった人柄ゆえ、周囲に愛され、尊敬を集めていた。 「特攻隊員の死はけっして徒死になどではなく、日本に平和をもたらすための尊い犠牲であったと思いたい。でも、親御さんたちの、子を想う姿を見ていると、たとえ平和のためであっても、二度と戦争をしてはいけない、『遺族』をつくってはいけない、とつくづく思います」 最後に会ったとき、特攻を振り返って角田は言った。この言葉が、私にとっての角田の遺言になった。
神立 尚紀(カメラマン・ノンフィクション作家)