「降板はやり過ぎではない」「が、芸能人も人間、清廉潔白を求めすぎるのも問題だ」…。吉沢亮「泥酔侵入」で起きうる連鎖降板への懸念
というのも、たとえば、みなさんがダイエット食品の宣伝広告担当者だとする。ある芸能人を起用しようと打ち合わせをしたときに「いやあ、でも私ってダイエットは大切だと思うんですけれども、食べすぎて10kg太っちゃうこともあるんですよね」と正直に吐露してくれたらどうだろう。起用するだろうか。 酒のCMでも「いや、ぶっちゃけ、適度な酒との付き合いなんて無理っすよね。俺、芸能人だから破天荒に飲んでパーっとやりますよ!」と事前にクライアントに伝える芸能人がいれば(現代ではいないだろうが)、それは筋が通っている。
「極限までの飲酒を勧めます」というフレーズのCMに出ていたとして、それでもなお降板になったら、それは誰もがおかしいと思うだろう。 今回の例でいえば、アサヒビールの降板は両者が合意するものだと思う。もちろん、私は不法侵入について“どうでもいい”といっているわけではない。あくまで相対的な話だ。隣室の女性は、知り合いでもない男性が入室してきたら警察を呼ぶのは当然だろうし、恐怖も感じただろう。 しかし、そこに現時点では犯罪性がない。さらに、この事件は第三者にトラウマを蘇らせるものや、過去の性被害をフラッシュバックさせるものではない。だから、これ以上の予備的な自粛や連鎖的な降板は不要だと思う。
■漂白する時代の行き着く先 私は吉沢さんの案件について、これ以上は過剰と論じた。ただ、矛盾するようだが、私は必然かもしれないとも思っている。 なぜならば、私は社会そのものが漂白化されていくと予想しているからだ。すべてがクリーンで清廉潔白でなければ生きていけない世界がやってきている。 その社会では、少しでも社会の規範からはみ出てしまったら、相当な罰を受けることになる。それは悪夢かもしれないが、SNS時代には必然といえるかもしれない。誰もがささいな失策を声高に叫ぶ時代になっているからだ。