【細野晴臣、吉田美奈子、忌野清志郎、遠藤ミチロウ】かつて東京の西にあったシティポップな「狭山アメリカ村」とロックンロールな「国立ぶどう園」、2つの音楽コミューンの今
当時から変わらないのはヒマラヤスギの巨木のみ
ザ・スターリンの前身バンドのメンバーであり、現在もミュージシャン兼漫画家として活動するツージーQは、2023年発売のマンガ『ぶどう園物語 ザ・スターリンになれなかった男』(ツージーQ・著、青林工藝舎・刊)のなかで、当時の暮らしと遠藤ミチロウのことを詳しく描いている。 福島で生まれた遠藤は山形大学を卒業後、インドを放浪し帰国。尿道結石を患って入院後、ぶどう園に住み着いた。遠藤の部屋にはやがて音楽仲間が集うようになり、いつも破壊的なギターの音があふれるパンクな溜まり場となったらしい。 彼らの他にも、のちにミュートビートで日本のレゲエ・ダブ界を席捲するトランペッターのこだま和文や、鍵盤ハーモニカの第一人者として知られるピアニカ前田などが、当時の“ぶどう園”を根城にしていた。 ツージーQのマンガには、かつて彼らが暮らしたアパートがあったあたりを、最近になって訪ねるくだりが描かれている。そこはきれいな住宅街になっていて、話を聞いた地権者の娘さんは「なんにも無くなっちゃったわよ。でもね、あれだけは昔のままよ」と、ヒマラヤスギの大木を指さした。 実際に現地を訪れてみると、当時を偲ばせるものはなにもない閑静な住宅街で、関係者以外立ち入り禁止の看板の奥に、キウイ園と思しき畑が広がっているのが見えるばかり。 だがそこには確かに、一際目立つスギの巨木がそびえ立っていた。 好きなミュージシャンの幻影を追い、彼らが青春時代のひとときを過ごしたエリアを巡り歩いてみた。 しかしコミューンがあったのは、今から40~50年も前のこと。予測はしていたが、現在のそこには痕跡さえほとんどなかった。 だが、あの人もこの道を歩いたのだろうか、この木を眺めてなにを思ったのだろうか……などと想像するのは楽しく、その間の僕の頭の中では、彼らが作った素晴らしい音楽がリピート再生されていた。 (参考サイト) 当時のアメリカ村や『HOSONO HOUSE』のレコーディング風景も見られる、写真家・野上眞宏の写真ギャラリー。 http://nogamisnapshot.com/gallery/ 取材・文/佐藤誠二朗
佐藤誠二朗
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