【細野晴臣、吉田美奈子、忌野清志郎、遠藤ミチロウ】かつて東京の西にあったシティポップな「狭山アメリカ村」とロックンロールな「国立ぶどう園」、2つの音楽コミューンの今
ぶどう園の中に建ち並んでいた音楽家向け住宅
その狭山アメリカ村から南へ車で1時間弱。東京の国立市にも、1970~80年代の日本の音楽シーンと縁深いコミューンの跡地がある。 一橋大学の裏手から徒歩数分のところにある通称「ぶどう園」は、当時はブドウを、現在ではキウイを中心に栽培している大きな民間農園だ。 ここはかつて、ブドウ棚の周囲を囲むようにヒマラヤスギなどの大木が茂る鬱蒼とした雰囲気の土地で、敷地内には古びたアパートが何棟も建ち並んでいたという。 4畳半1間・共同トイレの約200戸の部屋には、近くに国立音楽大学があったため(大学は1978年、立川市に移転)、音大生や若いミュージシャンが多く居住。彼らはあちこちで、常に楽器の音を響かせていたそうだ。 家賃は建物や部屋によって違ったが、平均すると10,000~15,000円程度だったという。 一部では、国立市ゆかりのミュージシャンであるRCサクセションの忌野清志郎や仲井戸麗市も、かつてぶどう園に住んでいたと言い伝えられているが、彼らの居住実績はなく、住人の音楽仲間を訪ねていつも大騒ぎしていただけらしい。 1970年代末当時、このアパートに実際に住んでいたのは、ザ・スターリンのボーカル・遠藤ミチロウとドラムのイヌイジュンである。 イヌイが2020年に著した『中央線は今日もまっすぐか? オレと遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年』(イヌイジュン・著、シンコーミュージック・エンタテイメント・刊)の冒頭には、ぶどう園のことが描写されている。 春遅く、ぶどう畑の一本道でヘビを踏んで震え上がり、突然の雨にずぶぬれになりまた震えながら畑の真ん中に建つバラックの俺の部屋へ還りついては1週間ほどもその音を聞いていた。ディストーションだけは目一杯かけている。その音がとなりの棟との間にある畑を渡る間に湿気を帯びて情けない音になって聞こえてきているのであった。そして音が止むタイミングでノックを二度ほどして、それから鍵のかかっていないドアを開けた。 「パンク、すきなん?」割れた大きな鏡の前でギターをかかえて情けない音を出す、小さく痩せた男に声をかけた。「うん」。79年の春のことだ 『中央線は今日もまっすぐか? オレと遠藤ミチロウのザ・スターリン生活40年』(イヌイジュン・著、シンコーミュージック・エンタテイメント・刊)その“小さく痩せた男”こそ、1980年代の社会を騒がせたスキャンダラスなパンクバンド、ザ・スターリンの遠藤ミチロウである。
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